根も葉もある嘘八百

一日一エンタメ

To The TOP

フィギュアスケートは、答えを手にできる魔法だ。
氷上には音があり、跳躍があり、幻想的な世界が広がる。選手たちも観客と同じようにその世界に魅せられ、滑りを始める。
一方でそれは、点がつき、順位が決まる、競技としての側面を持つ。そのため体力を、技術難度を求められ、いつまでもそこに立ち続けることは難しい。個性があれば赦される、わけではない。
しかし、だからこそ、一番が目に見えて取れる。正解がある。
観客はその頂に上る姿を求め、喝采を送る。頂上から見える景色は、どんなにか美しいだろう。

羽生結弦選手、金メダル獲得おめでとうございます。

不可能みたいな奇跡を起こせ

アイドルは奇跡を起こそうとする生き物だ。

でも、奇跡は起きた瞬間から奇跡じゃなくなる。

 

今日は先日実写化の発表された漫画、ドルメンXの話をします。

(結末ネタバレを含みます)


私はこの漫画を2.5次元の世界を描いたものと解釈し読んでいた。なぜなら明らかにモチーフのある2.5次元舞台の中で主人公たちは成長し、生々しい葛藤、嫉妬、挫折を味わいながら成長する物語だからだ。カノバレ、SNSなどのディープさはアイドルの煌めきというよりも体温のある2.5次元に近いとおもいつつその面白さに惹かれ読んでいた。

しかし違った。これは確かに、アイドルの男=ドルメンの話だった。

 

早速結末をネタバレする。

アイドルになることで地球侵略を試みる宇宙人集団ドルメンXは、ついにトップアイドルとなり東京ドームを満員にする。その隣には隊長と意気投合し途中からグループに加入した、人間の修吾もいた。
時は流れる。
人として年を重ねる修吾と宇宙人のため年を取らないドルメンXの4人。両者の溝は埋められないものとなり修吾はグループから脱退する。
しかし4人は修吾を忘れられない。とりわけ隊長は修吾をステージに呼び戻したいと譲らない。そして、ワールドツアーを目前に控えたドルメンXは修吾との対バンを宣言。修吾はステージに現れる。老いを隠さず、それでいて力強さを見せつける修吾のパフォーマンス。共に年を取ってきたファンは、自分の道のりを重ねられる修吾に勝利を与える。敗北を認め消滅しようとするドルメンX。しかし、修吾は自分が死ぬまで消えるのを待てと言う。ファンも、ドルメンXにも、また立ち続けて欲しいと願う。彼らはアイドルとして地球を征服し続ける道を選んだ。
さらに時は流れる。ドルメンXは昨日のテレビ、にも街で耳にする音楽、にも存在し続けていた。かねてから想いを寄せていたヨイを久々のオフに食事へ誘う隊長。しかしヨイは作品冒頭から応援し続けていたアイドル、MANABUの還暦ディナーショーを優先させるのだった。ここで物語は終わる。

 

修吾は人間で、正解だ。老いを隠さず、武器にすることで聴衆の心をつかみ、自らもステージに堂々と立ち続ける。眩しすぎるほどの存在だ。

しかし私は、ドルメンXを残した、この結末にこそ触れたい。
彼らは宇宙人のため、年を取らない。これは現実では不可能だ。

でも彼らこそが、現実世界のアイドルを描写した存在だとも考える。普通に年をとりたくても、取れない。どこか時を止められた存在。

そして、年をとらなけらば、見た目が若く美しくいれば、いつまでもトップアイドルでいられるか?私は違うと思う。
ドルメンXが高みを目指せば目指すほど、彼らに憧れて高みを目指す人間が現れる。

最終話で2代目ドルメンXのオーディションが行われている、しかもヨイが選考しているところもなかなかに重い。もちろん2代目は人間で、歳をとるのだから。
人はいつだって新鮮味を求める。どんなにすごいものでもその存在になれてしまえば驚いたり有り難がったりしない。そして失いそうになってはじめて、その大切さに気づく。対バンに負けたドルメンXを引き留めたファンのように。

すごく意地悪な話をする。対バンがもし、負けたら引退、がかかっていたとしても観客は修吾を勝たせただろうし、そのくせドルメンXの解散に反対しただろう。また、安心するのは修吾!といったのもつかの間、修吾のことをオッサンだと笑うだろう。(笑われてもせやで!とにかっと歯を見せそうな修吾が好きだ)
新鮮味を感じさせるのが、見たことのない世界を見せるのがアイドルだから。だからいつまでも、世間の大舞台に立ち続けるドルメンXの結末は不可能に近い奇跡なんだ。

結末などただの漫画の大団円だよと言う人もいるかもしれない。しかしこの4巻の中で描かれた、挫折や甲藤の容赦のなさを思うと、私はめでたしめでたしにまとめる為だけのラストとは思えない。

彼らが消える結末は十分にあり得ただろう。アイドルじゃ人間には勝てない、でも今度こそ…!?と新しい世界に行き、こんどは芸術家になろうとしたり、マジシャンを目指してみたり。でもそうせず、アイドルで居続けるラストにしたことは、作者のアイドルと言う存在への喝采だと、信じたい。

 

ここからは余談ですが、私は隊長がキャラの中で一番好きです。隊長がただのカリスマになんでもできる美形だったら興味を持たないけど、ジャグリング下手くそだから好きです。それでいて人一倍練習して、人一倍練習を経験できることを強みだと思っていて、でもそこにどうだ俺は正しいだろうという自己顕示ではなく本当に努力できることを喜んでいる突き抜けたズレがあるから、きっとあの世界の私は隊長のうちわを持っている。(でも修吾のリサイタルにも行く。)

 

 

Take a Magic! 偶像という名の魔法使い

アイドルが好きだ。偶像としてこの世にたたずむ存在は、誰かが受け止めなければ存在する意味がない。その受け手としていつまでも生き続けたいと、私は思わずにはいられない。私が思うに、アイドルには3つの戦法がある。

 

 

その①。毎日は辛いことだらけだけど、今だけは幸せでいようよ、と小さな楽園を作り出し、そこにいる間の幸せを互いに保証し合う方法。送り手自身が、この世界は美しいものばかりではないとわかっているからこそ、美しい世界を一生懸命に作り上げる。そしてファンも対象も、互いにそこにはずっといられないことがわかっていて、そのことも明言した上で、でもこの美しいキラキラした世界の思い出を、宝物のように心にしまっておけば、辛いときはそっと心の引き出しから出して目を細めて眺めれば汚い世界も生き抜けるでしょう?と約束する。かなりのロマンチシズムである。キンプリで言うならば、十王院一男は①の信条の人だと思う。

毎日はしけたことばっかりだけで嫌になることも多いじゃない?そう語りかけながらも、自分もそんな世界で2世としてくたびれる瞬間を抱えながらも、カケルという存在を作ることで、ファーストクラスへおもてなしできるし、チャンネーとハッピーな時間を過ごせる。そしてその瞬間を心にとっておけるからこそ、首のすぐ下までボタンを留めて、堅苦しい会議に出席することもできる。そうきっと、カケルになれることが有限だとわかっているからこそ、一男は舞台の上で輝ける。

 

その②。この世界の埃ごと夢に混ぜてみせるタイプ。これはまさに、プリズムワールドで言うならジョージやTHE シャッフルのこと。下ネタも世俗のゴシップもライブや彼等の表すエンターテインメントに出てくる。

シャッフルはきっと、壁ドンをしてみるけどキマらない。

彼らは総選挙するし売れた曲をパクったサウンドで歌える。そのパクっていそうな響きまでも、パクった、といえる背景さえも見るものと共有してみせる。それこそが世間に溶け込んでいる証拠だ。バーターやごり押しで露出していると言われても、BLと一部のコンビをネタにされても、そのすべてを自分たちから発信したり仁の工作でバラエティで率先して弄られてみたりして、自分たちの武器にする。

そうやって、思い通りにいかなかったり、人に笑われたりするこの俗世を生きる私たちにぶしつけなくらいの勢いで肩を組んでくる。世の中つまんねーよな!でも「『今だけ』は楽しいことしようよ」ではなく「つまんねーけど、一緒に頑張ろうぜ!たまには悪くねぇって思えるだろ?」というわけだ。

 

最後が③。キミと僕がいる世界は絶対に美しい、と決めてしまう方法。魔法をかけた瞬間から、この世界は美しく見えるようになる。これは口先だけでできることではない。美しい、と信じて決め込む力がなくてはできない手法だ。キミが目の前にいる限り、この世は美しい。それは決まったことなのだ。

つまりはミッキーマウスである。だってミッキーは、「パークの外にでたら辛いこと、苦しいことがたくさんあるでしょう。でもせめて今だけは、楽しんでいってください。」なんて言わないじゃん?

キンプリの速水ヒロはまさにこれを体現する人だ。彼の誘うスターライトエクスプレスに一歩でも足を踏み入れたなら、もう銀河系すべてが美しいのだ。そしてスターライトエクスプレスに仮に乗らない、と言っても、乗車案内を受け取った時点で、その人はこの世界の美しい存在だと肯定されているのである。そんなこと普通はできない。そう、普通ではない。だって本当に世界すべてを美しくするなんて、凡人にはできない。でも「美しい」と決めぬく力があれば?決めてしまえば、信じぬけば美しいのだ。

 

この中のどれが正しいと決めるわけではないし、きっと他にも手法はあるけど、アイドル、のやり方を大別するとこの3つだと私は思う。少し前にTwitterで、

アイドルが教えてくれるのは「最高の瞬間は永遠には続かない」ではなく「最高の瞬間は少なくとも存在する」だというものがあった。

これはものすごく①的だと思う。例えばライブやショーをするとして、そのパフォーマンスの瞬間だけは、僕たちがあなたの世界を彩りますって宣言かつ契約をするのが①だ。受け手はその契約に応じ、光を、魂を舞台の上に捧げる。そして幕が下りた後も、その思いを糧に煙った毎日を生き続ける。

 

ちなみに、①と②は混ぜたら上手くいかない。だって作り上げる世界に埃を混ぜるかどうかだから。①からしたら美しいロマンチシズムに満ちた世界に埃なんて存在してはいけないから。実はいっそ③だったら②の世界に行ける。ミッキーマウスがコンビニとコラボしてもミッキーマウスの価値がコンビニクラスになるわけではない。コンビニから百貨店まで網羅するミッキーマウス、になるだけだ。だって、この世界すべてを受け手と一緒に美しく染め上げてしまったのだから。

③の場合心配なのは、それは言葉のなせる魔法で、本当はきれいじゃない世界も、綺麗じゃないものを一人で直視しなくてはいけない瞬間もあるはずなのに、まるでそれがないかのように彩ってしまうこと。解けない魔法をかけたとして、魔法にかかる相手がいなくなってしまったら、その世界はどうなってしまうのか。考えてしまうけれど、考えたくはない

また、①も③も美しい世界を見るものと共有しようとすることは同じだけれど、元々の世界に埃を認めるかそんなものはないよ、と言い切ることでまるでないかのような魔法をかけることは全然違う。だって①側の人間は、そうそもそも人間だし、埃を認めて生きていているのに急にない、と言われるのだからそんなはずはないだろう、となる。分かり合うまでには時間がかかると思う。無論この場合世界に埃が実在するかは問題ではない。ない、といいきればないのだ。先述の通りこの「言い切る」は簡単ではない。嘘をつくのではない。本当にない、と思わなくてはできない。

・・・・・ここまで書いてボロのようなアパートで育った速水ヒロがなぜそんな魔法をかけきってヒロイックキングダムを築けたのか、その覚悟を測って崩れ落ちそうである。だってそんじょそこらの一般人よりずっと汚い世界見てるじゃん、確実に。でもヒロさまはそれをぜっったいに感じさせない。金スマに出ても苦労話がライブで明らかになっても、それはどこか小説の中の成功伝説のようで、「大変な思いをしてきたからこれだけ努力できるのね」にはなるけれど生々しい生命力には繋がらそう。ほら、速水ヒロさんって料理できないじゃないですか。同様にどこにいっても、それこそ無人島にいっても精神力では生き抜けそうだけれど薪割りや焚き火のスキルが最初からある、というのとは違いそう。習得率は高いけれど。

 

いずれにしてもアイドルがかける魔法は特別なものだ。煌めき、と一言で言うのは易いけれど、踊れる、歌える、飛べる、それだけでは片づけられないエネルギーが時に人を救う。 そこだけはきっと、どんなやり方でも変わらない。

 

虹のかかる空はここにある 地球が黄色い方のキンプリを語る

キンプリが好きだ。KINGとPrinceの方も好きだけれど、地球が黄色くなる方のキンプリは、私が唯一はまったアニメ作品だから、特別な存在だ。今日はKING OF PRISMの世界について、思ったことをつらつらと語る。

 

Over the Rainbowの歌うOver the Sunshine!が好きだ。一条シンの歌うOver the Sunshineももちろんいいのだけど、このは根本が違う。

シンくんの歌うオバサンは虹のかかる「空」がここだよって言ってるけど、オバレはこの空に僕たちが「虹」をかけるよ、と言っている。私には、そう聴こえる。

シンくんにとっての虹は、走ることで自然とかかった虹だ。すなわちプリズムラッシュである。

そしてその空を見て「煌めいている…!」てなるのが聖。

一条シンは虹をかけるための練習はしているし、その練習は大変なものも含むけれど、あくまでしたくて自然とやった練習なのだ。シンくんには悔しい、がまだなさそう。

シンくんには自己評価の高さ、そうprideがまだない。キングカップ4位に対しても、もっと頑張らなきゃな!とは思っているし、「僕もヒロさんみたいになりたいなぁ」ではあるんだけど、例えばジョージに「俺の方が上だジョイ♪」てされても、「はぁ…」にしかならなくて「はぁ!?」とは思わない。

「俺の方が本当は能力が高いのに!大人の力でかさましした煌めきに負けるなんて…!」てゲス顔したりは絶対にしない。

もちろんキンプリとキンプラでは格好つけることを覚え始めたり、成長もあるけれど、まだプリズムショーを「やりたかった」から「やるのが楽しくなってきた」に過ぎないと思う。

それを否定しているわけではない。むしろ育てる側からしたらまだ自我が出きっていない分育て甲斐があって、シン君の今いる段階がすごく接してて楽しいのかなとも思う。

見る側が少し上に立って、相手を引きあげられるというか。その状態を好む人はいるよね。

 Over the Rainbowの話に戻る。

よくオバレはアイドルなのか?という問題が発生する。絶対アイドルの速水ヒロはどこにいようとアイドルだけれど、カヅキのストリート系とコウジのアーティスト系としてのポリシーは、アイドルと言っていいか躊躇するものがあることも確かだ。それでも私は、オバレでいる間は、カヅキもコウジもアイドルだと思う正直、オバレの活動には彼らのやりたいわけではないもの、も含まれるだろうから余計にそう思うのだ。

きっと三人とも、「自分が人に見せて恥ずかしくないものを完成させる」という意識でオバレの活動に励んでいる。彼等のパフォーマンスは、athletic coreもOver The Sunshine!も、胸を張って人に見せようとしていることが伝わる内容だ。

しかしもし、同じものを披露する中で見る人がいなかったら?

ここだけは、ヒロと、コウジやカヅキで違いが出てくる。

コウジが屋上で歌う姿や、カヅキがネストオブドラゴンで闘う姿は、舞台の上であらわすものと差がない。情熱〇陸のドキュメンタリーで、そのままテレビに流していいものなのだ。

しかし速水ヒロは違う。海辺で走り、転び、ヘロヘロになり後輩に抜かれる姿はテレビカメラが入ったらすぐに様相を変えてしまう。すくっと立ち上がり、カメラが映していることに気を取られず、練習に打ち込む仕草、を演じきってしまう。

海岸をふらふらに走る速水ヒロの姿を見られるのはこの世界の私たちだけなのである。あの世界では絶対に見られない。あぁ私この世界に生きていてよかった。

速水ヒロがプリズムショーをすることに「自分のため」がないとは決して思わない。自らの野心のため、高みを目指すため。

しかし「見てくれる人のため」が常に速水ヒロの元にはあって、だから王座を目指す最大の競技、であるキングカップの場でも客席を跳ね観客に手を振る。あのときのヒロさまのファンサはフィギュアでいうイナバウアーみたいなものだと思っている。純粋な加点対象になる動きではない。

そしてもちろん、彼はプリズムショーそのものも好きだと思う。だから勝利や完成に拘る仁だけではなく、純粋過ぎるプリズムの煌めきへの愛を尊ぶ聖との両方のもとにいられる。

 

 

ここで法月仁と氷室聖の違いも話したい。

法月仁は、プリズムショーに対して、やるのが楽しいかどうかは関係ないと思っている。それよりも重視しているのは、完成しているかどうか。もっと言えば完成して見えるかどうか。実際にすべてが本物ではなくとも完成して見えればいい。しかし当然ながら中途半端な努力や覚悟のものではまがい物としてすら完成形にはならない。だから田舎からのし上がろうとした野心のあるジョージへ口パクの補助はするし、方針は違えどエネルギーの高いアレクは渋々でも自分の元に置く。シャッフルの他駅ちゃんにしても同じで、4人はいい子たちで未熟な点もまだあるけれど、エンターテイナーとしてはエデロ生よりも「覚悟」がある。ここは妄想も入るけれど、エデロ生は未熟ながらもプリズムショーが好きでやりたい、人で他駅ちゃんはプリズムショーを好き、やりたいよりプリズムショーで「前に出たい、、売れたい」の結果を見てシュワロに入ったのではないか。そしてその意気込みと結果のために努力を惜しまない、何かを捨てたり偽ることも惜しまない気持ちがパフォーマンス力のまだ成熟していないところを補って、仁の目に留まったのではないだろうか。ちなみにルヰくんがシュワロにいるのも、彼の目的は多々あれど、その達成のために舞台で「やり遂げなきゃいけないことがある」という覚悟があったからではないだろうか。ルヰくんは、一条シンという個人を求める気持ちはもちろんあるけれど、それだけではない。個人の表現者としてのプリズムの煌めきを愛し伝えたいという思いもある。これは使者としての使命感にも繋がる。

影と野心のある人にこそ仁は興味を示すのだ。全てを好き、でいなくともやり抜く意志や根性がある人間が法月仁の元に残る。速水ヒロが法月仁の元で育ったこともこれで納得がいく。

きっと仁は心の底では、煌めきへの憧れとコンプレックスを抱えているから格、に拘るのだろうけれど。

 

では聖はどうだろう。恐らく彼はプリズムショーが好きか、楽しんでいるか(=煌めいているか)を最も重視している。だからくじけたヒロに対しても、どうして元気が出ないんだろう…?なんだよな。

ちなみに仁にとってまだ一条シンが言及されていないのも理由はここだと思う。未熟と言うにはまぶしすぎるが、彼にはまだ「楽しい!」以外のものがない。上に立ちたいという野心や、名声を得たいという欲望も。

 

シンくんが覚醒したら仁は彼を欲しがるかもしれない。

 

二人とも正しくはなく、欠けている所が確実にある。仁と聖に限らず、プリズムワールドの登場人物は皆長所と背中合わせの短所を持ち合わせている。

だからこそ現実味があり、いつまで考えてみても飽きることがないのだと思う。

ブタキン見てきました―アイドルにまつわるとりとめのない話—

舞台KING OF PRISM Over The Sunshine!を見てきた。すごく楽しめた。2.5次元はほぼ初体験で内心ハラハラしていたけれど、キャラのイメージをファンと演者が共有できていれば次元が変わることなの全く問題ないのだと分かった。

以下、感想はほぼないです。見てきたことをきっかけに頭の中のアイドル感を整理したくなって、主に速水ヒロさんと高田馬場ジョージさんとジャニーズの中島健人さんの話をしますが、もしかしたら本当は誰の話もしていなくて、アイドルという概念の話をしているのかもしれない。

 

そもそも私は何で速水ヒロが好きなんだろうと、いつから好きなんだっけと考えた。でもいつ、て時間がわからない。中等部のキャンプファイヤー映像から好きだったし、温泉回に雷打たれたし、ラッシュのファンレターエピソードに涙したりもしていたけど、どれも衝撃が強すぎてこれだ!と指させる一点がない。
いずれにしても、「この人は私を見てるな」って思ったから好きになった。それは私が私だからじゃなくて、誰であっても。カメラの向こうを見ている、その向こうのキミを。次元だって関係なくて、あの世界のナショナルスタジアムの聴衆も、テレビの向こうの視聴者も、次元を超えた私たちも、みんなを同じように、見ているって思った。そのエネルギーに惹かれた。その速水ヒロさんのたたずまいがきちんと舞台でも現れていて嬉しかった。一番好きなのがラストで全員が壇上に集まるところなんだけど、速水ヒロさんはセンターのシンくんのすぐ左後ろに納まる。その時の階段への足の掛け方が、シンちゃんを押しのけるわけではないんだけど、ちゃんと僕が一番!て気持ちが出ていて、先輩していて、自信に満ちていた。足の小指の先まで神経が通っていて、見られている意識を持っていた。

自分がエンターテインメントに求める力は、誰もをいつでも救うことができる力だ。そこに気づけたのはキンプリのお陰だ、何が欲しいかが分かったことですごく人生が楽になったから心底キンプリには感謝をしている。
何かを楽しみにすることはその対象が何であれ尊い。それは人でも舞台でも好きなレストランでの仕事終わりの一杯でも、スポーツでも。楽しみを張り合いにして現実を生き抜く姿勢が何よりも好きだ。それはきっと、大切な物を楽しみにして、目標にしている時間もその大切なものがあるってことだ。そうやって頭の中にあれば、大事なものは「ある」ってことなんだ、生きてるってことなんだ、と気づいた。だって1度しかすれ違ってない隣の部屋のサラリーマンより、速水ヒロの方がよっぽど私の中で生きてる。
舞台のあとは速水ヒロさんとカラオケに行ってきた。(池袋のパネル男子の事です)でも確かに速水ヒロはそこにいたんですよ。もう、いたといえばいたんだ。本当に。

併せてジャニーズのSexy Zone中島健人さんの話をします。

速水さんと中島さんに共通しているのは、もう会ったらターゲットゾーンから逃れられないってことだと思う。好きでいればありがとう、だし嫌いになればいつかそんなキミをまた幸せにするよ、だし無関心でもおいで、僕がキミを幸せにするよ、だろうし。その覚悟と意志を持った目を見てしまった以上もう逃げられないってところがある。
でも私はジャニオタである以上中島さんやセクゾに対しての思いにどうしても内輪感が出てしまうだろうし、それはもう仕方ないんだけど、でもそれがもどかしくて。そんななか速水さんに出会って、二次を全く自分が知らないからこそ、速水さんに対する思いや考察から、自分のエンターテインメントに、アイドルに、求める情景が分かった。そしてだからこそ速水ヒロに対して内輪から守る存在でいたくない、という気持ちがある。でもやっぱり黄薔薇にはならざるを得ない。だって好きだから…。もし速水ヒロがプリズムキングカップから引退しても、体力面でエデロ後輩たちに負けたとしても、それでも速水ヒロを好きだよ、と小さい会場になろうとも薔薇をもって駆けつけてしまうと思う。でも速水ヒロにはいつまでも、そんな黄薔薇ではない人を、幸せにしようとする存在でいてほしい。40,50歳になってショーをするのに小さい小屋しかとれなくなっても、(そんなこと今は考えたくもないけど)そこに親に連れられて初めて来た女子高生を恋に落とすような、そんな速水ヒロでいて欲しい。

 

中島健人さんに速水さんと同じような闘志を感じたのもいつからなのか分からないんですけど。でもなぜか理由もわからないまま、ソロコンサートのDVDを買っていたし、はるか昔にJohnny's Worldを見に行った時のことを思い出すと、宙づりになってスクリーンを蹴り上げる中島さんなんですよね。後日体調崩して点滴を打ちながらやっていたことを聞いて絶句した。なんであんなに必死な表情でやっているんだろうというぼんやりした気持ちと、しかしお芝居だからキミ、と対話するスタイルでなかったことでどうしてもこの人のアイドル、をして居るところを見たいと思い続けて後日コンサートに入った。そして現状セクゾのことはすごく好きなんですけどでも、セクガルになりたいわけではない。同じ理由でケンティーガールになりたいわけでもない。予備知識がないと楽しめないコンテンツになってほしくない。内に入ることで彼らが力不足なときを赦したくない。いつだって初対面でありたいしそんな外野を巻き込んでほしい。


Sexy Zoneというグループのことも少し話す。ずっとセクゾのことは二つの流れを組んでるから面白くなるんじゃないかなと思っていた。それだって真実は誰にも分らないけれど。でもやりすぎなくどさ、と柔らかいチームワーク、というこれまでのアイドルが主に片方ずつ持ってきたパワーを、彼らは境遇と個性から両方もっている気がしている。そしてこの辺も後に速水ヒロさんの境遇を思ってはっとしたりする。色々あった当時のやり方を肯定はしないけれど、だからといって全部が失敗だったとは思っていない。君にHITOMEBOREはオタク以外からはかなり評判のよい楽曲だったし、(単純にメロディーを聞くと歌謡曲調でいい)それに最初から今の路線でやっていたら中島さんが乙女ゲームのようなドラマを展開していた、あのJMKはやってないと思う。あれはスマホが世に浸透しはじめて、コンテンツの流れが変わり始めて、当時の携帯乙女ゲームみたいなものが市民権を得始めたときの走りだったんじゃないのかなと。だってテレビつけてなんだよこれって思ったもの。JMKに関しては、大人の突っ込み待ち的なコンテンツへの包容力を、本人は突っ込みなんて微塵も意識せず素でやったがためにさらにカオスが増した感じはするけれど。あと当時のジャニーズのくどさで言えばお兄ちゃんガチャも、49の私のオキテも。そのこゆさやタイムリーさってきっと外野を巻き込む原動力になっていたと思う。


ちなみにジャニーズの他のグループのコンサートにも行って軽率にメンバーの名前とか呼べるけど、なんでか「ケンティー♥」とは呼べなかったんですよね。それは本当にいまだにわからないんだけど、「ケンティ(記号として)」とか「ケンティ(礼節として)」はできるんだけど、♥はつけられない。これはケンティーガールズに申し訳ない、というよりも、♥をつける住人にだけじゃなく幸せにしようと思っていてよ、という願望からなのかなと思っている。貴方は今日初めてあった人を恋に落とせる人でしょう?みたいな。文字で書くとおこがましいんだけど、自分だから、でもなんでもなく、貴方をそういう信念を持っている人だと思っているし、だから応援したい、みたいな気持ちはある。

で、さらに言うとそれと似た事をブタキンのジョージにも思ったのだ。先ほど書いた通り私はあの世界にいたら黄バラにはなってしまう。だって速水ヒロが謝罪した時に「アイドルなんてそんなもんだよー!」って言わないと!て思っているから。掬い上げないと!て思うから。でもジョージにはジョージー♥て言わなくて、普段、「こいつ…絶対18歳じゃないだろう?」て思っているだろうしもし飲酒疑惑とかすっぱぬかれてたら「おいおい…」て特に擁護せず立ち読みしたい。でもライブで踊ってるの見て「え?かっこいいじゃん!」って驚きたいしトークに爆笑したい。永遠にジョ担ではないけど会いに行くから自分を楽しませて見せてよ、みたいな。そしてそれに応えられそう(他駅ちゃんも含めて)なシャッフルいいなと思うのです。正直シャフおよびジョージはもっと3枚目な存在だと思っていたから少しずつ解釈が変わっていくことに自分で驚いてる。確かにプリズムウォッチで測定するとそんなに高くない実力値なのかもしれないけど、それはあくまで速水ヒロや人ならざるルヰシンと比べちゃったらってことで、エデロ生(もちろん好きだけど)が今後ジャンプを跳べるようになったとして本当の意味でのみんな、を意識しないと(アンチも外野も全部)仁聖のプロデュース力関係なしに負けてしまうのでは?と思ったりするのだ。
 

話は戻りますが、中島さんがソロコンで「ジャニーズじゃなくても、Sexy Zoneじゃなくても、こうしてみんなとコンサートをしていたかもしれない」て話してたことがすごく印象に残っていて。それは「ジャニーズやグループの看板がなくたって俺は輝ける!」ではないと思うんですよね。本当に単純にそう思っているんだろうなと。だって僕はキミを見つけるから。
中島さん、ソロ最新曲のMissionで「Mission必ず君を守り抜く ボロボロになっても」「遂行するこの任務 死ぬまでずっと」て歌ってるフレーズがイヤホンから流れるたび私はびくっとしてしまう。この人本気で死ぬまでキミを守る気だ…てなる。それがアイドルでいることなのか何なのかわからないけれど、ぜも死ぬまでずっと、なんだよな…。と思うとなんかこう、たまらなくなって頭を抱えてしまう。ご本人のインスタグラム的な携帯連載で、ジャニーズは顔だしNGだから首から下のお写真を連日掲載されてるのもすごく「彼の日常(のようなもの)」て感じがして。休日に母と出かけた話とか、お気に入りのプレゼントとか、嘘ではないっていうか本当なんだけど、むしろだからこそ虚像っぽくて。しかもそこにハッシュタグでちょっと不思議なポエムとか彼女に語り掛けるようなコメント(今度素敵に飲まない?とかどんな仮装してるか教えてね?とか)があるんですけど、だんだんそれを読んでいて思ったことはもしかしたらこれ人って首から下だけでも成立するんじゃないのかな?って思う。いや顔は王道のジャニーズだし足長くてスタイルがいいこととかも分かっているんですけど、そういうことじゃなくて。彼がここにいる、ということで十分アイドル性が成立しているというか。

 

最終的に何が言いたいかというとキミ、のために命を削る存在を私は愛し続けたいし、キミ、も僕、も不確かな存在に違いないのにそこにいるって思い合える関係が時に人を救うし救われるから、そんな価値観のある世界で生き続けたい。

アイドルは、ファンと本人が魔法をかけあって作る宝物だ。

Endless SHOCK2017感想

Endless SHOCK2017鑑賞してきました。

まず最初に言いたいのが、

文ちゃん・・・・・!!!さらつや茶髪がめっちゃイケメン。

ごめんなさい今まで文ちゃんの顔、あまり得意ではなかった。だけど今回はこのさらっさらの髪の人だれ?まさか文ちゃん?と最初っから驚愕しっぱなしで。

ヤラサイドのポジションにブンイチが入るというのもぴったり。かなりキャリアがある文ちゃんが、2番手としてもがくヤラを宥める役を演じる心中を察すると泣ける。

 

今回、2幕を「ヤラの夢」という気持ちで見た。そういう風に見える人もいる、というツイートを見かけたことと、ラ・ラ・ランドを見たことががきっかけ。(SHOCK好きな人のラ・ラ・ランド感想聞きたい)

もし2幕がヤラの夢だとしたら、現実のヤラはどうしているのか。私の考えでは、2幕冒頭の悪夢に日々うなされて、ヤラは舞台に立てていない。

だからこそ、インペリアル・ガーデンシアターでコウイチを待ち続け、幻ではあるけれどコウイチが帰ってきて皆がまた一緒にショーをやれる。自分の罪は赦される。そんな幻想を抱いていたのではないか。(あくまで妄想です)

 

リカについて。

今年のリカは松浦雅さん。朝ドラ「ごちそうさん」のふ久ちゃんを演じられていた方。

例年のリカに比べてパンツスタイルが様になっていて、しっかりしている印象を受けた。このリカとなら、ヤラは将来的に結婚できそう。もちろん、コウイチの思い出を共有することによって。高校時代にちゃんとカンパニー以外のコミュニティを持っていて、彼氏ができたこともあったけれど、なんだかしっくりこなくて。やっぱり幼いころから一緒だったコウイチといた方が安心する。その気持ちがいつしか恋心に変わっていた、そんな展開を想像した。

 

宝塚が好きな人にはぜひ、Endless SHOCKを見てほしい。2番手がトップに憧れ、追い越したい気持ちをむき出しにしながらから回っていく様子は個人的に宝塚を知って尚しみるものがあった。ジャニーズには、そこまではっきりとしたトップ図式がないから。

 

それから松松。元太君がいつのまにか長身のイケメンになっていて驚き。笑顔の浮かべ方があまりに眩しくて心のサングラスをかけてしまった。

 

ここのところ心が荒むことが多かったけど、今日のSHOCKのお陰でいくつになっても青春はできる、どう生きるかは心の持ちようだと吹っ切れられた気がする。

 

オタクである以上それなりに折り合いはつけないといけないって話

松本潤君が帝国劇場に舞い降りたそうです。

上演中の舞台、ジャニーズオールスターズアイランドに出演したとの一報を聞き、私の中にはいろんな感情が舞い起こってきた。

まず単純に、すごい!!!という興奮。今回のジャニーズオールスターズアイランドは、ほぼ毎回スペシャルゲストが出演していることは知っていた。そのゲストが堂本光一さん、渋谷すばるさん×滝沢秀明さん、八乙女光くん×薮宏太くん、東山紀之さん、と村上信五くん×松岡昌宏くんなどとほんっとうにスペシャルなことも、もちろん把握していた。

それでもどこかで、嵐の登場はないでしょう、と思ってた。だって存在感がでかすぎるから。もちろん嵐以外にもっとキャリアが長い人が大多数出ていることはわかっている。でもインパクトとして、嵐はでかすぎる、だからある日突然帝国劇場に出てくるなんてないだろうと、油断をしていた。

そのまさかが起きるなんて。東京ドームを溢れかえらせ、周年ライブを海外でやるような現役国民的アイドルグループのメンバーが、突然に収容人数2000人弱の劇場に現れるなんて。

その場に居合わせたジャニオタはさぞ驚いただろう、会場は沸いただろう、と光景を思い浮かべると興奮する気持ちが湧いてきた。

 

でもね、ちょっと黒い気持ちになったことも事実です。

私は松本潤君の担当だ。ファンクラブには12年前から入っている。

でも、今日のことは何にも知らなかった。

レポをたどっていたら、出演について、数日前から噂があったらしい。それを見越して、松本くんのファンで、今日帝劇に入っていた人も、いた。

そこに対して、自分にも周りにも、ついネガティブな感情を抱いてしまった。

今日の件を知っていたファンは、どうやってチケットをとったの?もともとジュニア情報局に入って、正規にチケット応募をしていた分が偶然当たった、わけではないよね?あんなにチケキャン撲滅とTwitter界隈で騒がれているけれど、結局その手の方法でないと今日のチケットを持っているはずはないのでは。そもそもそんな情報、どういうルートで手に入れたの?人脈があることが、そんなに偉いの。

そして私は何で、前触れさえも知らなかったのだろう?それなりにTwitterやネット界隈の情報は集めるようにしていたけど、努力が足りなかったんだろうか。時間が、執着が不足しているのか。それじゃファンって言えないのか。

なんで、なんで、なんで?

自分でも嫌になるくらい、悲しい暗い気持ちも心の中に浮かんだ。

 

それで気が付いたのは、結局気にしたって仕方ないということ。

自分のペースでしか、オタクはできない。私は情報を手に入れられなかった分、他のことにきっと時間を使っていた。働いたり、寝たり、TVを見たり。お金を積めなかった分、飲み会したり、勉強したり、タクシー乗ったりしていた。その分の時間やお金を注いでいる人と得られるものが違うのは、仕方ない。

誰もがおんなじ熱量で、おんなじテンションでオタ活はできないし、需要出来る量も一緒じゃない。それでも暗黙のルールを破ってまで執着する人が、日常とバランスとって摂取するアイドルのエネルギーに勝る量を手にしていることが、納得できなくはある。

でも、仕方のないことだ。

私はおとなしくレポを読んで、新鮮な体験に喜んでいたであろう自担にそっと思いをはせることしか、できないんだから。