根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

KING OF PRISMおうえん上映の話

KING OF PRISM by Pretty Rhythm、通称キンプリが好きだ。初めて映画を見に行ったときはなにこれ・・・!?って終日ぽかんとしたし、気が付いたら一週間後も二週間後も劇場にいた。てかがっつりサイリウムふってた。

この映画のヒット要因はぶっとんだ内容とおうえん上映、という新しいスタイルの2つだと思うのだけど、最近そのおうえん上映、の風紀が乱れているとネット上で話題だ。

 

stohspaceg.hatenablog.jp

 

正直自分は、あまりオタク同士の学級会は好きではない。一言で言ってしまえば、不毛だからだ。オタクなんて人生の余暇でやってることなのだから、楽しくないことはできるだけしたくない。推しのために泣いたり悩んだりすることはあるし、もちろんその気持ちは本気なのだけれど、結局のところ「悩む」というエンタテインメントを消費しているにすぎないのだ。だってどんなに推したところで、泣いたところで、彼等は私たちの人生に全く直接の関わりはないのだから。

だからキンプリおうえん上映の風紀が乱れているという話になったときも、正直ピンと来ていなかった。声を出すのが前提の上映で、うるさいも何もないだろうと。野次とおうえんの区別だとか定義、という話も、人によって解釈のわかれる微妙なニュアンスに目くじらを立てても仕方がないと思っていた。何より私はオタクが好きだから、声をだして応援しているエリートの姿は、たとえすべてが同調できる応援内容でなくても、十分に楽しめた。

しかし先日久々におうえん上映に参加して、上記ブログの意味がよくわかった。

結論から言ってしまえば、そこにオタクではない人が混じっていて、彼らの声こそが正当化されていたのだ。ちょうど私の隣の席にいた男がまさにそれだった。予告の際から嫌な予感がしていた。貞子vs伽椰子の時に「ねぇねぇどっちが勝つと思うー!?」と蓄膿症交じりの大きい声。本編が始まってからもタイガ登場シーンの前に「緑のくるよー!」言われなくても知ってるわ。流行りのコンテンツに参加して気の利いたことを言って目立つ自分、に価値を見出しているだけで映画そのものに対するまっすぐな愛情が微塵も感じられない人だった。一番許せなかったのはシン君が遠慮してないシーンで「ごりっぱ!!」って叫んでたこと。エリートが「遠慮して-!!!」って叫ぶ分にはいいんだよ。それは画面のシン君に向かって本気で話しかけているから。でもこいつは違う。ただ言いたいだけだ。ラストの未成年の主張のシーンでも、「ねぇねぇV6が来てるってほんとー!?」長いし画面を客体化しているからいえることだ。内容に寄り添っていたらこんなおうえんは出ない。プリリズ女子キャラ登場シーンでもひたすらに名前を叫んで息切れしていて、これは愛ゆえに名前を叫んでいるのではなく、ただの俺知ってるアピールだとよくわかった。

彼が気になっただけで、劇場全体が嫌だったわけではないのだけど、えっっ?という驚きや戸惑いはかなり感じた上映会だった。おうえん上映を楽しめないことがあるなんて思ってもおらず、悲しかった。

 

私も所詮ただのオタクだ。ここに書いていることもそのたわごとにすぎないし、自分と違うスタンスのオタクがいるのは当たり前だと思う。ただ私にとってオタクは、コンテンツにひっぱられる存在であってほしい。自分がコンテンツを引っ張ろうなんて思い違いは、オタクが金払って集っている場所で出してほしくない。ニコ動に書き込むことと同じスタンスでおうえん上映で叫ばないでほしい。

本当にキンプリが好きで、画面の中にまっすぐに向けて叫ぶ声は、どんなに大きな声でも構わない。ただひたすらにキャラの名前を叫んだって、映画が聞こえなくなるほどでなければいいと思う。ちょっとシビアなつっこみも、ちゃんと愛があって画面に話しかけるものならば、その時々で違うおうえん、として良いスパイスになるだろう。

3月ごろまでのおうえん上映では、所々でおうえんに対する笑い声があった。それはサークル的盛り上がりではなく、ただの画面に向かっておうえんしている我々、に対しての苦笑のようで、そんなエリートも含めてプリズムワールドが丸ごと愛しかった。

 

誤解しないでほしいが、キンプリを知識のない人に見てほしくない、という話では決してない。4DXも始まる今、まだまだキンプリヤクザにつれられる迷い人は増えてほしいし、はキンプリはまさに興味本位で軽率に参加するべきコンテンツだと思う。今のエリートだって数か月前は同じだろう。ただ、おうえん上映というスタンスが特殊で魅力的だからと言って、おうえんしている自分、がコンテンツの主役だと勘違いしていたずらに目立とうとする人間が、これ以上増えないことを切に願う。