根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

アイドルの残酷さとそれでもやっぱりジャニーズが好きな話

ジャニーズが好きだ。許せないと憤ったこともあるし、今でも許せないこともあるし、なんでそんな道を選んだのと失望することもあるけれど、それでも好きだ。

2次元も2.5次元もキャラクターも同性も見てきたけれど、それでもここに帰ってきてしまう。それは、どうしてなのだろう。答えは多分見つからないのだけれど、強いて言うならば、を今日は考えてみた。

あらかじめ話すが、これは何が上で何が下だとか、何が良いとか悪いとかを話したいわけでは決してない。ただただ、今夜ふと考えた、個人の好みの話だ。

 

私がジャニーズを愛する理由は、そこが終われない国だからだと思う。

 

女性アイドルは、いつか卒業することをどこかで前提にしている。これは大人数で流動性のあるアイドルに顕著にみられる特徴であり、もちろん必ずしもすべてに当てはまるわけではない。その意味で、ももクロPerfumeの今後については別の日に深く綴ってみたいと思っている。しかし、アイドルは、アイドルであることを通過点、として見せており、その先に芝居、モデル、歌手、等新たな目的が存在する。言い換えれば、芝居、モデル、歌手、に専念することとアイドルでいること、は多くの場合、両立しない。

伝統と格式のある宝塚でさえ、類似したことが言える。彼女たちは、宝塚歌劇団の人間としてある種、普通の人とは離れた表現者として生きることを求められる。実の名前を取られ、芸名をつけ、そこにさらに愛称がつき、年齢を非公開にし、男役に至っては人前に出るときの性別イメージさえも、舞台から降りた時でさえ奪われる。しかしそれも、「退団」という儀式が彼女たちの人間宣言となり、解放される。

 

二次元に入ると話が少し変わる。彼等には終わらない物語、を付与することが可能だ。しかしそれは各々の脳内で処理をされる話なのだ。結局のところ、対象とされる人物が生きてはいない。いや、複数の無限の命を持って、生きているとも言える。漫画も、アニメも、好む人物の頭の中で、何度も死に、何度も抱き合い、いつまでも存在し続ける。

 

そう比べてみた時に、ジャニーズってなんなのだろう。と考える。何も上記の点を比較するだけならば、ジャニーズに限った話ではない。俳優や、お笑い芸人など、長く続き、終わることを前提としない生身の人間ならば、終わらない物語を作られる、と言える。それでも私が「ジャニーズ」という限定の仕方をしたのは、個人の好みに基づいた話題提起である以上に、そこが「あまりにも人間らしさとかけ離れた煌めきを持つ者の集まった、終われない国」だからだ。

 

私たちは、私たちの都合で彼等を成長させる。数年前の映像を見て、目つきが変わった、姿勢が変わった、痩せた、肥った、etcetc…それでいて、自分たちに都合の悪いことを、変わらない、と言い張る。「一生懸命だ」「いつもファンを考えている」「恋愛スキャンダルがない」等、等。成長したいところだけを成長させ、成長してほしくないことを、知らないふりしている。けれどその身勝手は、あのKING OF PRISMに勝るとも劣らない天地が引っくり返るような煌めきと歓声と光と音の中に、消えていく。そんな時に残酷ともとれる遊びを、私たちは何度繰り返してきただろう。

それでも、やめられないのだ。その目の前にいるのが、生きている人間だから。たくさんの身勝手を投じ、期待をし、妄想をし、たまに勝手に裏切られたり、報われたりした気になりながらも、それがまやかしだと心の中で言い訳しながらも、ほんのひとかけらくらいは、キャッチボールが成立していると思っているから。だって、それが、彼らの仕事だから。しぐさも、言葉も、パフォーマンスも、その100%がまやかしだったら、どんなに酒池肉林が愉しめる稼業でも、それだけでここにはいないだろう?パフォーマンスへの努力も、芝居に対する情熱も、そこには確かな努力があり、成果となって人の前に映っている。指で弾いて灯した光に、零れた笑顔には本当がほんの少しでも、混ざっているはずだ、そう思っている。思いたいから、私は結局ジャニーズという畑に帰ってきてしまう。

 

そしてジャニーズのことを、「終われない」と綴ったのは、男性アイドルが解散を前提としない存在であることと、もう一つ、その煌めきを、舞台から降りた人間にも、受け手は探し続けることをやめられないからだ。具体的に誰、という話をしたいわけでは決してない。しかし、我々の妄想を抜きにしても、舞台を降りた人間から実際に、その光がどうしても漏れてしまっている。その光の粒を見つけてしまうたびに、この王国の哀しいほどの煌めきを感じ取ってしまうのだ。

 

いつか物語の根幹が崩れる日が来るのかもしれない。本のカバーが壊れてしまってから、敷き詰められたページがどんな風に広がるのかは私には想像がつかない。だけどもう少しだけ、このかっこよくてダサくて、眩しくて暗い国で、夢を見続けたい。