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根も葉もある嘘八百

一日一エンタメ

野ブタ。をプロデュースと土俵にいつか上がりたい話

野ブタ。をプロデュースのドラマ版が好きだった。一世を風靡した青春アミーゴは青春の代表曲だ。私は、修二が好きだった。人生をゲームだととらえ、覚めた態度を取りながらも、いつしか大切な友人を見つけ、成長していく彼に強く共感した。

 

昔から悩んでいることがある。土俵にうまく、上がれない。嬉しいときに嬉しいと言い、笑いたいとに笑って、いるつもりなのだけれど、喜怒哀楽がうまく周囲のリズムと合わないときがある。茶柱が一本立っただけで、笑える人がうらやましい。私は茶柱が50本一気に立った時には「えぇ!?なんじゃこりゃ」って笑えるけど、茶柱一本の日常に幸せに、見て見て茶柱!と見せびらかして走れない。茶柱って言いすぎた。

 

小雨が降っても機嫌が悪くならない。雨は私の力ではどうしようもないこと。生理痛でもイライラしない。そんな誰もが絶えなければならない痛みに惑わされるなんて、愚かなこと。ずっとそう、思っていた。しかし動じないことは、人を鈍感にもさせる。落ち着いているのと些細なことに気が付かないことは、背中合わせだったりもする。

 

目の前の茶柱が立っても笑えないけれど、直接話したこともないあの人が、髪を切ったことには微笑める。結局は、興味のあるかないかないかなのかもしれない。

現実に興味のある人がうらやましい。

歌も踊りも芝居も大好きだけれど、それは結局遠い世界の事でしかなくて。遠い世界の事にしか、私にはできなくて。どんなに好きでもどんなに知っていても、それだけを私の人生の糧、にはしていられない。

 

現実に興味を持って、現実で勝負しなくてはいけない。恋をして、働いて、家事をして。その隙間にエンターテインメントがあるはずなのだけれど、なかなかどうしてバランスをとれないときもある。

生きるために夢を見る、が理想なのに、夢を見るために辛うじて生きる、になってしまう。長い人生のうちにそんな時間もあってもいい。そう自分を許しているけど、現実と言う土俵に感度を高め挑める日はいつになるのか、いや自分でいつ戻るつもりでいるのか、時折自問してしまう。