根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

今も「昨日のテレビ観た?」って会話はあるのだろうかという話

ミーハーとは、世の中の流行や芸能人の動静に今まで無知の人が熱中したり、影響を受け知ったかぶりの行為をする者(主に若年の女性)に対しての呼称である。 通常はカタカナで「ミーハー」と表記するが、かつてはみいはあ、みいはあ族などと呼ばれた事もあった。

ミーハー - Wikipedia

 
今日は少し、回顧BBA的な話をする。
 
ミーハーって、マイナスの意味でつかわれることが多い言葉だが私は好きだ。
流行り物にすぐさま飛びつく、今まで知らなかったけれど世間が飛びついた瞬間に群がる。
流行って、時代って、そんなミーハーから作られる。
 
私は自分がミーハー、が存在していた最後の世代だと勝手に思っている。
言い換えれば、「昨日のテレビ観た?」が通用する最後の世代。
もしこれを読んでいるU20の方がいたら、学生時代や今、友人とそんな会話をするか教えてほしい。
 
何でも手に入るという事は、何にも希少価値がないという事だ。今、映像に関してはこれが言えると思っている。
私が学生のころは、まだVHSの時代だった。VHSは今じゃ考えられないが、1本で2時間しか録画ができない。(画質を落として3倍録画をすると6時間録れるけど、今じゃ考えられないほど画質は粗い)
24時間テレビを良画質で録画しようものなら12回テープを替えなくてはならない。とんだオタク泣かせだ。
最近、半日の生放送歌番組が恒例化してきたのは、自由に長時間録画できるHDD/BD レコーダーの普及が背景にあるだろう。
 
しかしそんな視聴ハードルが高い時代の方が、真剣にテレビを見ていたと思う。
「昨日のテレビ観た?」
が語れるのは、テレビ以外がそんなにないからだった。スマホも、タブレットも、You Tubeも。皆無じゃないけど、力はなかった。You Tubeとか10分が限界の時代だった。
だいたい、上記の会話の「テレビ」は特定の番組を指していて、みんな見ているのが当たり前で。
竜か隼人か、類か司か、佐野か中津か。
みんなが知ってる。みんなが夢中になってる。そんな、教室全体に熱量があふれている空間が大好きだった。その熱をもっと近くで感じたい。
そんな思いでふらふらとエンターテインメントの世界に近づいて、コンサートに行って、舞台に行って。
そしたらいつの間にか、ミーハーは姿を消して、オタクの自分が残っていた。
 
見損ねてもどっかに画像が上がっているだろう。その今の考えが悪いわけではなくて、希少価値が薄れると、必然的に画面の力も弱まってしまう。
今、この瞬間だけ。一週間のこの一時間だけ。頭の中のカレンダーで、きらりと光る時間帯がある。
そんな毎日が凄く楽しかった。
これからは、みんなが面白いと言っているから見て見よう、各方面の感度の高いオタクが面白いものは拾って、場合によってはVine
ツイッターであげてくれるだろうから、それを観ればいいってなっていくのだろうか。
効率は良いけれど、同時に同じものを楽しんでいる様子が目に見えるし、一体感もあると言えばあるんだけど、どこか、寂しい。
 
もしかしたら、皮肉な話だけれど「今日は帰ってテレビ見るから上がります」が最後に日本中で発生したのは、あのSMAP×SMAP生放送のあった1月18日の夜なのかもしれない。
あの時、決して決していい気持ちはしなかったけど、今でも辛くて腹は立つけど、同時性、皆が同じことに関心を持っている熱、を久しぶりに感じた。
 
映像の量が増えたことも、それ故にあり方が変わったことも仕方ない。もちろん、それによるメリットもある。
でも、日本中がオンタイムで見ないと気が済まない、うずうずして仕方なくなるような、そんな嘘の世界がテレビで流れる時が来てほしい。