根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

私が担降りしない理由

担降りとは、ジャニオタ用語で好きな人の「担当≒ファン」をやめること、及び他の好きな人、すなわち新しい担当に鞍替えをすること。今日は、担降り=好きな人のファンをやめて、新しい対象を見つける、と言う意味で話をする。

少し前に担降りブログが流行った。私も読むのが好きだった。人の恋話を聞いているようで楽しい。しかもそれが本当の恋愛なら自分とは余りにかけ離れた世界観だが、自分の勝手にではあるが知っている人、そして自分の肌馴染みのある場所での話だから余計に前のめりで聞くことができる。

 

しかし、私はこれまで担降りをしたことがない。多分これからも、することはないと思う。そういうやつに限って数か月後に担降りするなんて話もよくあるけれど、今のところはしない、と確信している。なぜならきっとファンには「担降り」をするタイプの人と、担当を保ちながら他の人も見るタイプの人がいて、自分は後者だから。

私は、嵐の松本潤さんのファンである。あまり自分で「担当」という意識を持ったり、言う事はないけれど、別段その制度が嫌いなわけではない。あまり表明したことがなかったが、今日は「松本担」として話をする。

担降りをしないのは、もちろん松本君を一番好きだからなのだけど、それだけではなくて自分の性格的理由がある。私は、好きの中に一本の幹を通さないと、この、エンターテインメントを楽しむという、自分と全く関わりのない世界への執着を示す見方次第では非現実的な遊びを楽しむ自分を赦してあげられないから、担降りをしないのだと思う。人が何をしようが、誰を好きだろうが関係ないのに、おかしな話だけど。

しかし私には頻繁に小さなブームが来る。漫画のキャラクター、若手俳優、韓流スター、アニメキャラなど、一時的にかなりの熱量で夢中になる人が出てくる。そういう時、これは担降り体質の人はこのまま担降りするんだろうなと思う。

 

極論かもしれないけど、恋愛体質と担降り頻度って関係する気がする。

例えばジャニーズJr.をずっと好きでデビューしたら興味を失って、新しいJr.に担降りする人や、好きなタレントが売れると興味を失ってまた若手の伸び途中の子を見つける人がいる。

その楽しさって、少しわかる。いいと思っていた子がどんどん前に出て少クラのミニコーナーに初めて呼ばれたと思ったら、いつの間にかレギュラーになっていくときとか、もっとこの人の良さを世間に知ってほしい!と思った人が学園ドラマに出て普段アイドルに興味のない友達の口からその子の名前が出てくるときの、これから何かが始まる、広がる!というワクワク感とか。オタクを5年以上やっていれば自然と身についてしまう感覚。その思いが楽しくて、繰り返し感じられるような対象の見つけ方をする人もいるだろう。片思いから両思いになるドキドキや駆け引きが好きで、付き合ってからにはそんなに執着がないの、みたいな。

 

争いは避けたいけれど、色んなスタンスのオタクが混在するから楽しいし、担降りする人もしない人も私はオタクとしてありだと思う。