読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

根も葉もある嘘八百

一日一エンタメ

その人は私に、笑顔をくれたんです

今日もセンチメンタルな話をしてしまう。ご了承ください。

 

エンターテインメントが好きだ、という話を現実社会ですると、時々理解されないことがある。昔、会社で同僚と話した時のこと。

同僚「休みの日は何をしているの?」

私「映画観たり、観劇に行ったりかな。」

私は同僚とそれなりに打ち解けている自信があったので、それとなくオタ活について話した。

私「最近は○○君が好きで、映画観たらすごくよくて、パンフレットも買っちゃって!」

距離を縮めるための他愛無いミーハー話のつもりだった。

同僚「ふーん、私そういうの分かんないや。その人がさ、私たちに何をしてくれるの?」

あぁ、そうか、そうだよね。納得するような、諦めるような気持になった。

どんなに近づいたつもりでも、どんなに応援していても、所詮私たちは受け手と送り手の関係でしかない。そこに時間とお金が介在し初めて成立する関係性。私たちはファン、応援者、としての立ち位置を与えられ、その何万分の1としての市民権しか得ない。娯楽は娯楽でしかない。

それでいいと思っていた。それが心地いいと思っていた。

でも、意味がなかったのかな。全部、痛ましい過去になってしまうのかな。

こんな風に楽しかった時間が幕切れていくのなら、こんなやり場のない無力感を、悔しさを、感じるくらいなら私もこの遊びから手を引こうか。どんなエンタメを見ても結局ジャニーズの放つ現実と虚構の絶妙なバランスが、私の一番好きな世界だった。そしてその入り口は確実にSMAPだったんだ。

だからもうやめてしまおうか。今はどんな人も格好いいと思えない。いや、正確には思うけど、「萌える」というスイッチが入らない。

 

これは人それぞれだと思う。この件に衝撃を受けながらも、並行して自担を愛でられる人ももちろんいるだろう。でも、私はできない。なんでか、をうまく言えないけれど、何かに夢中になったところでその先にあのどろっどろでモザイクだらけのブラックホールが見えるかもしれないと思ってしまうから。今はジャニーズだけじゃなく、宝塚も漫画も見る気がしない。エンターテインメントに心躍らせることができない。今朝は偶然JaponismのDVD特集を観た。横で見ている家族は「格好いいね!!やっぱお金かかってるねー!」といつも通りに話していたけど、今の私にはまだ、たとえ自分がファンをしている嵐でも、心からジャニーズのコンサートに格好いい!と叫ぶ気持ちは起こってこなくて。

 

友達は1月からの騒動で事務所アレルギーになり、オタクを辞めた。それを止めることはできなかった。供給者が信用できない様なものには金は落とせない、と言われた。確かにその通りだ。理詰めで辞められる程度の想い、とも言えるけど。

お前も全部やめるのか?と言われたら、そこでうなずくことも出来ないんだ。だって私の好きな人は、今日も生きてるから。オタクをする中で、今この場所が、世界で一番暑いって、生きてた中で一番幸せだって思う時があったから。あの事務所だからこそ、実現できたことが、景色があることも、知っているから。他のオタクと同じように。それを、あなたの周りであまりに理不尽なことがあったから、日本のエンターテインメントに失望しました。だからあなたのことも、応援することをやめますとは、言えない。前述通りファン個人は認識などされないのに、その言い分はちょっと、自担に顔向けできないなって思う。だからどうしたらいいのか、今は半ば思考停止状態だ。

 

でも、エンターテインメントは私たちに、笑顔をくれたんだ。友達との話題の種や、勉強の息抜きや、仕事の後の休息のひとときに、欠かせないものだったんだ。

これから娯楽とどんなふうに付き合うか、私も自分で直接的な何かを貰ったりあげたりできる世界でだけ生きる方に方向転換するか、今はまだわからない。でも、街はずれのちっぽけなOLがここまで生きてきたのは、そんな触れもしない人たちの嘘みたいな世界のおかげだったんだ。