根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

溺れるナイフを見た。

 

世の中には選ばれる人間と選ばれない人間がいる。

神様に選ばれた人間は選ばれた使命を全うしなくてはいけない。

選ばれた人間自身も、その使命に近づくことを欲している。

 

選ばれない人間は彼らを見つめる。自分は彼らのように輝けない。

遠くには行けない。見ていることしか、できない。

「あの頃のコウは、特別やったから」

大友は変わってしまったコウに言う。

輝ける人間には特別な時がある。だれにも止められない、本人でさえも制しようのないような、熱と輝きを持つ時が。

中学3年生のコウも、2016年の菅田将暉も、その熱を持っている。だから菅田将暉のコウは、泳いではいけない水に飛び込んでも観客に赦される。

 

この瞬間の菅田将暉に会えたことが嬉しい。スターには登場した瞬間にしかない輝きがある。小栗旬にも水嶋ヒロにも向井理にも佐藤健にもその時があった。時がたってもスターは道さえ見つければ輝き続けられる。それでも世間に見つかった時の疾走感はその時だけのもので、時がたってから身につくオーラとは、違う。

 

今の菅田将暉を見ておきたい。彼が追い風を受けながらひょうひょうと走り続ける様を同じ時代に生きた人間として記憶にとどめたい。

海辺を大好きな女の子を背に乗せて走るコウの姿はその思いをさらに強くさせた。