根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

溺れるナイフ 気づいたことまとめ

冒頭の夏芽のモデルシーン。

「絶対女の子」という歌詞が響き渡る。「どんなときも絶対女の子」「何があっても絶対女の子」「生まれ変わっても絶対女の子」?意味はたくさん考えられるけど、コウに恋してだんだん普通の女の子になっていく夏芽にこの歌詞はぴったりだった。

 

夏芽一家が浮雲に移る車内の会話。

女将が務まるか不安がる母への父の言葉「大丈夫だよ、お母さん美人だから。」「優しいから」じゃなくて「美人だから」。その後の夏芽の芸能活動に対する複雑な気持ちを表す際の言葉も「女の子は…」女性性に対する特別感、悪く言えば蔑視をしていることが伝わる言葉。

宴会のシーンで夏芽母は胸の谷間が見えるラフなワンピースを着ている。母ではなく女性としての意識を持っていることが伝わるし、娘に芸能活動をさせる母親としての自然さが出ている。

 

「一緒にトイレ行こう」に「うん」と平然と答える夏芽。都会的で女子っぽい付き合いに慣れている。

 

大友が夏芽に「母ちゃん美人」とじゃれるところ。「顔が好き」ということでのちにその遺伝子を受け継ぐ夏芽に惚れることを暗示。

 

最悪な事件に巻き込まれた後も薄着で太ももが丸見えの格好で歩き回る夏芽。大友との最後の日にも短いショートパンツにロングTシャツというかなり煽情的な格好をしていた。それは女性からの反感も買うけど、彼女が神様に近づ特別な子だって理由で、赦せてしまう。

 

夏芽のコウに対しての「触れてよ」という懇願。一度汚された身体は誰にも触れられたくない、自分を汚した男という存在に二度と近づきたくないって描き方がこの手の忌まわしさの場合多いけど、夏芽は違った。

自分は何があったって神様に守ってもらえるはずなのにそれができなかった。まだその事実をあきらめられない、受け入れられない夏芽は、神様に自分の忌まわしい思い出を上書きさせることを願った。でも触れられたってあの日の無力さも、痛さも覆い消すことなんてできない。それをわかっているから、コウは一度は観念して夏芽に触れても、そのまま寄り添い続けることはできなかった。「俺はお前に、なんもしてやれんのや。」最初はその言葉の意味が分からなかった。コウが自分の人生で、具体的に、夢とか仕事とかで挫折をしたのを端折っているのだと思ったから。でも、そんな俗っぽい悩みではなくて、好きな女ひとり、大人から守れなかった。そのことで自分の全能感が奪われたという、コウも実はただの現実的男の子としての挫折を感じていただけなのかもしれない。

 

再会したコウと夏芽をバックに流れる大森靖子の「ハンドメイドホーム」。悪魔はコウで、王子様は大友。

2番の「気持ちを抑えてできるだけ たのしくするから嫌わないで」

はコウへの独占欲を告げても響かなくて、「面白く生きて見せる!」と吹っ切れる夏芽に重なる。

https://www.musixmatch.com/ja/lyrics/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E9%9D%96%E5%AD%90/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

 

原作のラストのネタバレを見たのだけど、私は映画のラストの方が好き。二人の恋は、寄り添うという形でかなわなくていい。だってそのほうがこの二人にはハッピーエンドだから。

コウにとっての夏芽も、夏芽にとってのコウも、神さんだから、格好悪くなれない。格好悪くても愛し合おうよ、と何度もサジェストし合ったけど、やっぱりそれは無理だったから。いつまでもお互いを神さんだと思って、心の中で偶像みたいにあがめ合って、遠くに上っていく。