根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

私はあなたに逢いにいく~オタクにこそ見てほしい映画「今夜、ロマンス劇場で」~

 

 映画「今夜、ロマンス劇場で」を鑑賞してきた。冒頭から涙が止まらず、よく「5分に一度は泣ける」、なんてコピーをどんなお花畑だよ、と笑っていたが本当にあるのだと知った。

この映画はラブストーリーでありながら、それ以上の価値がある。憧れと幻想を抱きエンターテインメントに手を伸ばす多くのものへの慈しみと言える作品だ。

(以下ネタバレを含みます)

 

主人公の牧野健司は、さえない映画会社の助監督。ある日古い映画の中のお姫様、美雪に一目惚れし毎日のように彼女を観ている。この映画が、予告やポスターではまるでローマの休日かのような華やかな作品に見えて、一見して誰もがC級作品と分かるようなミスマッチな冒険活劇なのだ。お姫様が槍を持ち、ハリボテ級の着ぐるみの動物三銃士とともにお城を出て暴れまわる。多くの作品の中から忘れられていくことに疑念を持ちようがない代物だ。作中の滑り具合と時代の流れとともにその映画をみる観客が減り、フィルムに「廃棄」のスタンプが押され倉庫に眠らされる描写がなんとも切ない。自分はこのシーンから涙腺が刺激された。

その忘れられた作品を偶然倉庫から見つけ出し、映写機にかける健司。彼は、彼女を見つけたのだ。

 

健司は作中の美雪を誰もが憧れる自社の社長令嬢、塔子よりも美しいとにやけ、飲みや女遊びにも興味を示さず彼女の映画を街の小さな映画館、「ロマンス座」にて毎晩自分だけのために上映する。それにやれやれと付き合い、お代を取りながらも劇場を明け渡す柄本明演じる館主の優しさもとてもいい。

しかし、その映画は古物収集家の目に留まり売られることが決まってしまう。最後の日と惜しみながら映画を見つめる健司。その時空に雷鳴が轟き、停電かと思った矢先目の前に現れたのは、モノクロの姿の美雪であった。と、ここはおとぎ話のシナリオさながらである。

素晴らしいのは、その先の細かな設定だ。

まず、美雪はあくまで映画のお姫様として最後までたたずむ。当然、彼女を演じる女優、がいるはずなのだがそこには「とうの昔に亡くなった」という事実以外一切言及がされない。人気女優であったのか、すぐに消えてしまったのかさえ分からない。映画の評価具合といい、名を馳せた看板女優ではなかったと思われるが。

彼女は作品のお姫様、として存在し続けるだけではなく、自分の立場もわかっている。物語序盤で美雪は言う。「私は、人に楽しまれるために生み出された存在だ」と。作られた生き物であることを理解しているのだ。これが後の、彼女がこの世界に来た理由にも大きくつながり、私はその設定に完全に心打たれてしまった。

 

最初は戸惑いながらも、ペンキでモノクロの身体に色を塗り、何とか現実世界に馴染ませ健司と生活をする美雪。多くのトラブルを巻き起こしながらも、二人の距離は自然と縮まっていく。

そして健司は、美雪にこれから先もずっと一緒にいて欲しいと告白をする。しかし彼女には彼の気持ちに応えられない理由があった。

美雪は、現実世界に飛び込む代償として「人の温もりに触れると消えてしまう」という秘密を抱えていたのだ。なぜそこまでして次元を越えたのか問いただす健司に美雪は応える。

―自分は人に楽しまれるために生み出された存在だ。昔は自分を観に多くの人が訪れた。それが時とともに減っていき、いつの間にか誰もいなくなってしまった。仕方ないことだと分かっていた。でも、寂しかった。そんなとき、お前が見つけてくれた。それなのに、もうお前に会えなくなると知って、一目逢いに行きたかった。お前に、「見つけてくれてありがとう」と伝えたかった。

と。

このシーンは、思い出すだけで今も涙が出る。

人は勝手に画面の向こうの世界に憧れを投じ、愛を投げかける。時がたてば勝手に忘れ、また新しいものを探し始める。向こうの世界には手が届かない、誰も気づいてはいない、そう思っているから。

でも、もし、彼ら彼女たちが見ていたら?触れられないけど、いやだからこそ「見つけてくれて、ありがとう」と思ってくれていたら?

 

そして結末もまた、秀逸かつ救いに満ち溢れている。

秘密を打ち明けてから、彼女を失わないため、傷つけないために触れないよう気を遣う健司。そんな気遣いに好きだからこそ耐えられなくなり、彼の元を去ろうとする美雪。せめて最後に抱きしめてほしいと懇願する美雪に健司は向き合い、彼女の肩に手を伸ばす。

ここで一度物語は止まる。現代の老いた健司と病室で話をする看護師、天音。

「その先はどうなってしまったのか、先を教えてほしい」と天音が泣きじゃくる。

…この先はぜひ劇場で見てほしい。公開時期が過ぎてから、加筆したい。