根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

クリスマスの思い出

子供の頃も今も、クリスマスが好きだ。
恋人がいないからクリスマスは憂鬱でもなければ、自虐に走って女子会をすれば楽しめる!でもなく、ただクリスマスの空気が好きだ。
 
こどもの頃は、サンタクロースが24日にやって来る。夜、眠るときの心のときめきが毎年の楽しみだった。
一晩明けたら欲しかったものがもらえる、それだけではなくてとびっきりの幸せがやってくるような、そんなワクワクがあった。
小学校に入ると、サンタはいないんだよ、と誇らしげに話す子がいた。
背が高くて気の強い彼女は「だってレシートがあったもん、ママがトイザらスで買ってきたんだよ!」
まるで探偵になったかのように、強い口調で豪語し、そうだそうだ!と集まる子達を従えて満足そうだった。
 
私が、サンタがほんとにいると思っていたのかは正直わからない。
毎年枕元にプレゼントがあるのが楽しみだったけど、ある年人生ゲームを頼んだら、当然枕には置けないサイズで、
部屋の角っこのカーテンの中に包装紙にきれいに包んだ箱がおいてあるのをみて、なぜかちょっと笑ったことを思い出す。
それでも母は、サンタがココアを飲んで帰っていった話をしてくれたし、特に仲の良かった母方の祖父は、おじいちゃんはサンタの友達だから、とプレゼントを別にくれて、祖母に後で甘やかすなと叱られていたりした。祖父が叱られる光景も見ていたけれど、私は祖父からサンタとご飯を食べた話を聞くのが好きだった。
 
それでも一度だけ、サンタはいないんでしょ?と親に言ったことがある。クラスの子たちに影響されて、いないって見破るのがかっこいいことに思えて。
もしかしたら、そんなことないよって言ってほしかったのかもしれない。
しかし母は、「いないと思ったら、サンタはもう来ないんだよ」とさらりと言った。
見破った達成感なんてちっともなかった。
いないと思ったらプレゼントがもらえなくなってしまうからではなく、サンタが来ないという響きが冷たく、怖く思えた。
それからサンタがいない、と言うのはやめた。
 
少し年を重ねたある時、今年はサンタに何を頼むの?と聞かれなかった。
毎年11月の下旬には、サンタに言っておくから、と聞いてくれるのに。
たまに、サンタの国にはなかった、と違うものの発注を、推奨されることもあったのに。
何にも聞かれないことはさみしくて、不安だった。けれども私は、自分からサンタには今年はこれを頼みたいの、と言わなかった。
そもそもその年には、いわゆる「おもちゃ」で私の欲しいものも特になかった気がする。
12月24日の夜。いつもなら楽しくてワクワクして仕方ないはずなのに、その年は何だか寝てしまうのがこわかった。
それでも起きたら、何かが待ってるんじゃないか。そんな気持ちを一生懸命に抱えて、目をとじた。
 
朝起きると、枕元には何もなかった。
 
そりゃそうだよね、何も頼んでないのだから。そう思いながらもどこかひんやりした気分で布団からでて、起きる準備をしていると母がやってきた。
「今年はママサンタからプレゼントです♪」
それは当時の私には少しお姉さんのブランドの、長財布だった。
ありがとうと少し笑って、私はその財布を受け取った。かなり大事にして、中学を卒業する少し前まで、使っていた気がする。
私の信じた小さな嘘が、おしまいを告げた時だった。
 
今でもサンタはいると思っている。指輪をくれる恋人でも、おもちゃ箱を開けてくれる白ひげのおじいさんでもないけど、
世界にひとつのキラキラを振りまいて、毎日をクリスマスイブにしてくれる魔法使いを、私は信じてる。