根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

ぜんハリ解進に寄せて

ZEN THE HOLLYWOOD80’s というアイドルがいました。いや、正確には今もいます。彼ら自身と、少しでも触れ合った人すべての心に。

アイドルが好きです。○○さんを世界で一番好きなのは私、と言えるほど律儀ではないけれど、アイドルという光が世界で一番好きな人間の一人です、とは自己紹介できるくらいには、大好きです。

 

初めて、男性アイドルとのお別れのライブに行きました。前述通りアイドルは好きですが、女性アイドルにすごく入り込んだことはなかった。小学生の頃にクラスメイトの影響もあってモーニング娘。は好きだったけれど、ライブに行くくらいに追いかけていたわけではなかった。きっと女性アイドルは、いつか卒業してしまうことを知ったからだと思います。

ペットを飼うこともできなかった。死んでしまってお別れになるのが怖いから。

祭りの終りや、日曜日の夕方も苦手。何かが始まると別れがいつか来てしまう。それに耐えられる強さを持っていない。

だから、今日はぜんハリが舞台に立つ最後の日で、そのお別れにちゃんと向き合わなくてはと思いながら、怖くて仕方がなかった。

でも、とてもとてもいいライブでした。本当に素敵な、空間でした。思いをきちんと綴られているのかはわからないけど、きちんと留めないと、また何かに心ときめかせて、ドキドキしたりワクワクしたり、するのが切なくてできなくなってしまいそうだから、今日のこの気持ちをここに残します。

ぜんハリとの出会いは、今年のホワイトデーでした。本当に今更になってしまって情けないのですが、当時何度も書きかけて、アップできなかった感想下書きをここに残します。

——―—

貴方はコンサートに行った時にキャーって言えますか?キャー、黄色い声。私はコンサートで上がるあの声を聞くことが大好きです。今まさに、喜んでる、ときめいてる人がいることが伝わるから。
でも、私は上手くキャーって言えません。
コンサートにいくときはいつも、ドキドキしてるし興奮してるし、思いっきり楽しいのに。私はアイドルに対して理屈を何重にもこねくり回すけど、でも俯瞰してドライに見てる訳じゃない。親心でほっこりしたいだけって訳でもない。
その場の人間として、好きでここに来た応援する人として盛り上がりたい。そう思うのに、いつもうまく発言ができない。キャーって言うのが、怖いのかもしれない。
そんな私が行った現場のお話をします。
 
ぜんハリのコンサートへ行ってきました
先日紹介した少年ハリウッド。私はこの作品に出会って、よりアイドルが好きになりました。アイドルが好きな自分に気づきました。だから一番好きな登場人物はシャチョウです。32歳になってもアイドルへの夢を捨てきれず、間違ったチャンスにしがみついて奇跡を描き続ける人。
そんな少年ハリウッドに公式ライバル、ZEN THE HOLLYWOOD80's(通称ぜんハリ)がいると教えていただいたのは3月のこと。ホワイトデーのライブで、私は初めてぜんハリを見ました。お友だちにエンブレムライトを貸していただき、初めての会場にドキドキしながらもひたすらに光をふった。大好きな少ハリの曲がたくさん聞けて、ステージの上のぜんハリはとっても輝いていて。初めての握手もしました。今まで握手なんてしたことがなかったから、とてもドキドキして。初めてきました、という私のはがされる背中へありがとう!とかけてくれた声を、これから握手会というものを見るたび私は何度も思い出す。その後、二回目の参加をしました。お誘い下さったお友だちと、今度はさらにもう一人、友達をつれて。
このときのライブが、最前列でした。最前列のライブなんて初めてで、光をこんな近くで浴びてしまっていいのか、始まる前から自信がなかった。開演前、お客さんが通路にしているくらいの小さな段差のステージ。数百人規模の、パイプ椅子の席。でもね、始まった瞬間、そこは神さましか立てない場所になった。
ZEN THE HOLLYWOOD80'sは、今年7/16に解進の決まっているグループです。キラキラに、1度ピリオドが打たれることが決まってる。
4人はこのステージで、力です。それは、二回しか見てなくても伝わりました。ステージを所せましと使って、踊って、踊りきって。衣装も素敵でした。セーラー服をそれぞれのメンバー風にアレンジして、ダメージやレースが入ってる。
長年の友人に、終演後具合が悪い?と心配されました。一体どんな顔をしていたのか、私もわからないけど、上手に表情を作れていなかったことだけは、覚えています。あんまりに眩しくて、終わってしまうのが苦しくて、そこにいる自分が応援してるよってことを伝えたくて、でももし目があってありがとうって言われたらこわいって。いやだでも申し訳ないでもなくて、ただ怖くて。
認知とか、私はよくわからない。でも、もし「こないだ初めてきてくれた方ですよね!」って言われたりどうしようって、そんなことあるはずないのに怖かった。
でも、先月初めて来た人が、とても素敵だと思って友達つれてもう一度来ました、それくらいに良かったですってことは伝えたくて。
よかったってこと伝えなきゃ!だから振らなきゃ!ってエンブレムライトを振っては、眩しく踊るZぜんハリに胸が詰まって腕を下ろす。でもそれじゃだめだ!と思ってまた挙げる。その繰り返しでした。
少年ハリウッドの世界観を通している彼らは、台ひとつ隔てているだけなのに、3秒以上目が合わない。途中で見つめるタイムがあるのだけど、目があった気がする、なのです。
何メートル離れていても恋人になれるし、30センチしか距離がなくても手の届かない人でいられる。そんな世界だったし、だから私は、大好きです。
—―——
今日のコンサートも、胸が詰まってキャーって言えないかなと思っていました。でも、今日はキャーも、掛け声も、全部言いました。だって、彼らがアイドルとして舞台に立つのは今日が最後だから。
アイドルってね、とても不思議な生き物だと思います。人の、想像力をかき立てる生き物。
目の前にいるだけでキャーって言われる。何かするたびに見ている人の目が輝く。人の前に立って何かを披露する人はみんなそうさせる要素を持っているけれど、やっぱりアイドルは特別です。何かができる、だけではなくて、なにかをしてくれそう、みせてくれそう。そんな期待感がキャーという歓声だったり、ペンライトの灯になる。それを浴びられるのは彼らにとって今日が最後なんだ。そう思ったら、声を出さずにはいられなくなった。胸が詰まってしまうのはむしろこちらの勝手で、言葉にしなきゃ、音にしなきゃ伝わらない。そう思って、一生懸命に歌ったり、掛け声をしたり、アンコールをしたりしました。それが正しいキャーだったのかは、今でもわからないけれど。
 
私が大好きな嵐の曲、Song for youに、「繋いでいこうよ 最高のFinale」という歌詞があります。
今日の公演中、その言葉がふっと思い浮かびました。
歌って踊って奇跡を見せられることはそれだけで尋常ではないことでそして、有限です。
有限であるのに、そう思わせないことまでもがアイドルの役目には含まれていて、だからこそしんどくなるけど見ずにはいられない。
今日の景色は、間違いなく最高のFinaleでした。
 
一回のアンコールの後、ぜんハリの映像が流れます。まるでライブが続いているような、いつもの衣装の4人。彼らは、いつまでもここでライブをしているから泣かないで、と言ってくれる。
 
アイドルはピーターパンみたいだね、という話をつい最近、友人としました。これはあくまで、アイドルが好きな私が投影してみている景色にすぎませんが。
ピーターパンは、いつまでも楽園、ネバーランドにたたずみ続けます。けれども物語の結末では、ピーターパンとともにネバーランドにいたロストボーイ(迷子の子供)は、人間の世界に引き取られ、ネバーランドで空を飛びまわっていたことを忘れ、普通の人間になっていく。ネバーランドを信じていた子供たちも、いずれ大人になり、そんな夢の世界を信じる気持ちも、あこがれていたことも、忘れてしまう。
アイドルが、終わりを告げてしまうことは、ロストボーイになってしまうことなのかと思いました。いつか「僕、アイドルだったんですよ」と冗談のように笑う、普通の人、になってしまうことなのかと。そして彼らに目を輝かせていた人もいつか彼らを忘れて、物語は終わってしまうのかと。そんなの寂しい、おいていかないで。自分は何者でもないけれど、アイドルの光がたまらなく愛おしいから、今日も演目の終盤、そんな胸に詰まる感情を抱えていました。
だけど、最後の映像を見て、彼らはずっと、待っていてくれる人がいる限り、ネバーランドにいてくれる、いることにしてくれるんだと思えた。だから解散ではなく、解進。
 
4人のこれからについては私はわかりませんが、いつか街ですれ違っても、気づかないのが素敵だなって個人的には思います。そして2018年7月16日、平成最後の年の海の日、酷暑の日本でも間違いなく一番暑かったのは、あの代アニステーションライブの空間だったことを、私は忘れません。ZEN THE HOLLYWOOD80’sのみなさん、並びに彼らに出会わせてくれた、出会った中でお話しさせていただいたすべての皆さん、夢とキラキラをありがとうございました。