根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

僕と一緒に、世界を騙さないか?

こんばんは。

私は以前、アイドルとファンの関係性を「共犯」だとツイートしました。その後オタ友と、何か違う表現はあるのか、もっと適当な考え方も存在するのではないか、と話ししばらくたつのですが、私はやっぱり「共犯」だと思ってしまいます。

なぜなら、私の望む関係性には必ず大衆、が存在するからです。

好きな人のことは、皆に好きになってほしい、みんなには好きにならないでほしい、だれかに嫌われていてほしい、私だけのものでいてほしい。どれも少し違って、私は私の目指す星には、みんなから関心を持たれていてほしい。好きでも嫌いでも、知ってる、だけでもいいんです。人の頭に残っていてほしい。もうこれは、なぜって説明のできない感情です。私は小さいころからお祭りが好きで、オリンピックが好きで、花火大会が好きで。でも、体育祭や文化祭はそんなに好きじゃなくって。それはなぜかと考えると、前者はみんなが夢中になってみる一つの対象があって、後者はあくまで、みんなで作り上げる空間があるだけだからなんでですよね。大人になるにつれ、後者のみんなで作り上げる空間の重要性を知り、遠ざけてきたことへの反省も生まれました。だって自分が通っているコンサートや舞台も、その裏では空間を作り上げる集団が存在して、当然ながら「作る」ことへ価値を見出しているから。作ること、の延長線上に何かの中心点にできるような上質な完成品が生まれることは、今は理解をしています。

話がそれました。

私はエンターテインメント、とりわけ男性アイドルが好きなのですが、その理由はなにも美しいビジュアルや、歌、踊りだけではありません。長くその文化に親しんで、テイストそのものを好む気持ちはもちろんあります。ただそれだけではなく、アイドルは見たことのない景色を見せてくれる存在だから、私は見続けてしまうのだと思います。

だって地球は黄色くないんだもん。(二次元のキンプリの話です

どういうことかといいますと、僕はキミを愛している、も永遠に一緒だよ、も本当にすることって実際は難しいですよね。でも、のびやかな歌声で人を感動させる、アクロバットな踊りで驚嘆させる、そういう「実際にあるもの」だけではなくて、あたかも目の前に存在するような気持ちにさせる煌めき、を生むのがアイドルなんだと思います。これは、スポーツでもフィギュアスケートのパフォーマンスだったり、お芝居でも、時の人、ともてはやされるような演者さんだと、同じ部分を持ち合わせているのではないでしょうか。

本当は青い地球を、黄色いですねっていうことは、受け手と送り手が一緒に嘘をつくことです。だから信じられるだけの嘘をついてくださいと、いつも思ってしまいます。

アイドルが提示する嘘を信じることは、私は嘘を嘘だと分かったうえで、自分の、彼らの、そして大衆の世界を変えるために信じることにするのだから、やっぱり犯罪ではないのだけど、「その話、乗った!」と思うような、血判状を作成するような心持が生まれてくる。

そうしてついた嘘が、自家中毒のように自分と世界を取り巻いたとしても、その先に美しい世界があるのなら、あるように見えるのなら、そこはきっと楽園だと思いたい。