根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

Take a Magic! 偶像という名の魔法使い

アイドルが好きだ。偶像としてこの世にたたずむ存在は、誰かが受け止めなければ存在する意味がない。その受け手としていつまでも生き続けたいと、私は思わずにはいられない。私が思うに、アイドルには3つの戦法がある。

 

 

その①。毎日は辛いことだらけだけど、今だけは幸せでいようよ、と小さな楽園を作り出し、そこにいる間の幸せを互いに保証し合う方法。送り手自身が、この世界は美しいものばかりではないとわかっているからこそ、美しい世界を一生懸命に作り上げる。そしてファンも対象も、互いにそこにはずっといられないことがわかっていて、そのことも明言した上で、でもこの美しいキラキラした世界の思い出を、宝物のように心にしまっておけば、辛いときはそっと心の引き出しから出して目を細めて眺めれば汚い世界も生き抜けるでしょう?と約束する。かなりのロマンチシズムである。キンプリで言うならば、十王院一男は①の信条の人だと思う。

毎日はしけたことばっかりだけで嫌になることも多いじゃない?そう語りかけながらも、自分もそんな世界で2世としてくたびれる瞬間を抱えながらも、カケルという存在を作ることで、ファーストクラスへおもてなしできるし、チャンネーとハッピーな時間を過ごせる。そしてその瞬間を心にとっておけるからこそ、首のすぐ下までボタンを留めて、堅苦しい会議に出席することもできる。そうきっと、カケルになれることが有限だとわかっているからこそ、一男は舞台の上で輝ける。

 

その②。この世界の埃ごと夢に混ぜてみせるタイプ。これはまさに、プリズムワールドで言うならジョージやTHE シャッフルのこと。下ネタも世俗のゴシップもライブや彼等の表すエンターテインメントに出てくる。

シャッフルはきっと、壁ドンをしてみるけどキマらない。

彼らは総選挙するし売れた曲をパクったサウンドで歌える。そのパクっていそうな響きまでも、パクった、といえる背景さえも見るものと共有してみせる。それこそが世間に溶け込んでいる証拠だ。バーターやごり押しで露出していると言われても、BLと一部のコンビをネタにされても、そのすべてを自分たちから発信したり仁の工作でバラエティで率先して弄られてみたりして、自分たちの武器にする。

そうやって、思い通りにいかなかったり、人に笑われたりするこの俗世を生きる私たちにぶしつけなくらいの勢いで肩を組んでくる。世の中つまんねーよな!でも「『今だけ』は楽しいことしようよ」ではなく「つまんねーけど、一緒に頑張ろうぜ!たまには悪くねぇって思えるだろ?」というわけだ。

 

最後が③。キミと僕がいる世界は絶対に美しい、と決めてしまう方法。魔法をかけた瞬間から、この世界は美しく見えるようになる。これは口先だけでできることではない。美しい、と信じて決め込む力がなくてはできない手法だ。キミが目の前にいる限り、この世は美しい。それは決まったことなのだ。

つまりはミッキーマウスである。だってミッキーは、「パークの外にでたら辛いこと、苦しいことがたくさんあるでしょう。でもせめて今だけは、楽しんでいってください。」なんて言わないじゃん?

キンプリの速水ヒロはまさにこれを体現する人だ。彼の誘うスターライトエクスプレスに一歩でも足を踏み入れたなら、もう銀河系すべてが美しいのだ。そしてスターライトエクスプレスに仮に乗らない、と言っても、乗車案内を受け取った時点で、その人はこの世界の美しい存在だと肯定されているのである。そんなこと普通はできない。そう、普通ではない。だって本当に世界すべてを美しくするなんて、凡人にはできない。でも「美しい」と決めぬく力があれば?決めてしまえば、信じぬけば美しいのだ。

 

この中のどれが正しいと決めるわけではないし、きっと他にも手法はあるけど、アイドル、のやり方を大別するとこの3つだと私は思う。少し前にTwitterで、

アイドルが教えてくれるのは「最高の瞬間は永遠には続かない」ではなく「最高の瞬間は少なくとも存在する」だというものがあった。

これはものすごく①的だと思う。例えばライブやショーをするとして、そのパフォーマンスの瞬間だけは、僕たちがあなたの世界を彩りますって宣言かつ契約をするのが①だ。受け手はその契約に応じ、光を、魂を舞台の上に捧げる。そして幕が下りた後も、その思いを糧に煙った毎日を生き続ける。

 

ちなみに、①と②は混ぜたら上手くいかない。だって作り上げる世界に埃を混ぜるかどうかだから。①からしたら美しいロマンチシズムに満ちた世界に埃なんて存在してはいけないから。実はいっそ③だったら②の世界に行ける。ミッキーマウスがコンビニとコラボしてもミッキーマウスの価値がコンビニクラスになるわけではない。コンビニから百貨店まで網羅するミッキーマウス、になるだけだ。だって、この世界すべてを受け手と一緒に美しく染め上げてしまったのだから。

③の場合心配なのは、それは言葉のなせる魔法で、本当はきれいじゃない世界も、綺麗じゃないものを一人で直視しなくてはいけない瞬間もあるはずなのに、まるでそれがないかのように彩ってしまうこと。解けない魔法をかけたとして、魔法にかかる相手がいなくなってしまったら、その世界はどうなってしまうのか。考えてしまうけれど、考えたくはない

また、①も③も美しい世界を見るものと共有しようとすることは同じだけれど、元々の世界に埃を認めるかそんなものはないよ、と言い切ることでまるでないかのような魔法をかけることは全然違う。だって①側の人間は、そうそもそも人間だし、埃を認めて生きていているのに急にない、と言われるのだからそんなはずはないだろう、となる。分かり合うまでには時間がかかると思う。無論この場合世界に埃が実在するかは問題ではない。ない、といいきればないのだ。先述の通りこの「言い切る」は簡単ではない。嘘をつくのではない。本当にない、と思わなくてはできない。

・・・・・ここまで書いてボロのようなアパートで育った速水ヒロがなぜそんな魔法をかけきってヒロイックキングダムを築けたのか、その覚悟を測って崩れ落ちそうである。だってそんじょそこらの一般人よりずっと汚い世界見てるじゃん、確実に。でもヒロさまはそれをぜっったいに感じさせない。金スマに出ても苦労話がライブで明らかになっても、それはどこか小説の中の成功伝説のようで、「大変な思いをしてきたからこれだけ努力できるのね」にはなるけれど生々しい生命力には繋がらそう。ほら、速水ヒロさんって料理できないじゃないですか。同様にどこにいっても、それこそ無人島にいっても精神力では生き抜けそうだけれど薪割りや焚き火のスキルが最初からある、というのとは違いそう。習得率は高いけれど。

 

いずれにしてもアイドルがかける魔法は特別なものだ。煌めき、と一言で言うのは易いけれど、踊れる、歌える、飛べる、それだけでは片づけられないエネルギーが時に人を救う。 そこだけはきっと、どんなやり方でも変わらない。