根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

不可能みたいな奇跡を起こせ

アイドルは奇跡を起こそうとする生き物だ。

でも、奇跡は起きた瞬間から奇跡じゃなくなる。

 

今日は先日実写化の発表された漫画、ドルメンXの話をします。

(結末ネタバレを含みます)


私はこの漫画を2.5次元の世界を描いたものと解釈し読んでいた。なぜなら明らかにモチーフのある2.5次元舞台の中で主人公たちは成長し、生々しい葛藤、嫉妬、挫折を味わいながら成長する物語だからだ。カノバレ、SNSなどのディープさはアイドルの煌めきというよりも体温のある2.5次元に近いとおもいつつその面白さに惹かれ読んでいた。

しかし違った。これは確かに、アイドルの男=ドルメンの話だった。

 

早速結末をネタバレする。

アイドルになることで地球侵略を試みる宇宙人集団ドルメンXは、ついにトップアイドルとなり東京ドームを満員にする。その隣には隊長と意気投合し途中からグループに加入した、人間の修吾もいた。
時は流れる。
人として年を重ねる修吾と宇宙人のため年を取らないドルメンXの4人。両者の溝は埋められないものとなり修吾はグループから脱退する。
しかし4人は修吾を忘れられない。とりわけ隊長は修吾をステージに呼び戻したいと譲らない。そして、ワールドツアーを目前に控えたドルメンXは修吾との対バンを宣言。修吾はステージに現れる。老いを隠さず、それでいて力強さを見せつける修吾のパフォーマンス。共に年を取ってきたファンは、自分の道のりを重ねられる修吾に勝利を与える。敗北を認め消滅しようとするドルメンX。しかし、修吾は自分が死ぬまで消えるのを待てと言う。ファンも、ドルメンXにも、また立ち続けて欲しいと願う。彼らはアイドルとして地球を征服し続ける道を選んだ。
さらに時は流れる。ドルメンXは昨日のテレビ、にも街で耳にする音楽、にも存在し続けていた。かねてから想いを寄せていたヨイを久々のオフに食事へ誘う隊長。しかしヨイは作品冒頭から応援し続けていたアイドル、MANABUの還暦ディナーショーを優先させるのだった。ここで物語は終わる。

 

修吾は人間で、正解だ。老いを隠さず、武器にすることで聴衆の心をつかみ、自らもステージに堂々と立ち続ける。眩しすぎるほどの存在だ。

しかし私は、ドルメンXを残した、この結末にこそ触れたい。
彼らは宇宙人のため、年を取らない。これは現実では不可能だ。

でも彼らこそが、現実世界のアイドルを描写した存在だとも考える。普通に年をとりたくても、取れない。どこか時を止められた存在。

そして、年をとらなけらば、見た目が若く美しくいれば、いつまでもトップアイドルでいられるか?私は違うと思う。
ドルメンXが高みを目指せば目指すほど、彼らに憧れて高みを目指す人間が現れる。

最終話で2代目ドルメンXのオーディションが行われている、しかもヨイが選考しているところもなかなかに重い。もちろん2代目は人間で、歳をとるのだから。
人はいつだって新鮮味を求める。どんなにすごいものでもその存在になれてしまえば驚いたり有り難がったりしない。そして失いそうになってはじめて、その大切さに気づく。対バンに負けたドルメンXを引き留めたファンのように。

すごく意地悪な話をする。対バンがもし、負けたら引退、がかかっていたとしても観客は修吾を勝たせただろうし、そのくせドルメンXの解散に反対しただろう。また、安心するのは修吾!といったのもつかの間、修吾のことをオッサンだと笑うだろう。(笑われてもせやで!とにかっと歯を見せそうな修吾が好きだ)
新鮮味を感じさせるのが、見たことのない世界を見せるのがアイドルだから。だからいつまでも、世間の大舞台に立ち続けるドルメンXの結末は不可能に近い奇跡なんだ。

結末などただの漫画の大団円だよと言う人もいるかもしれない。しかしこの4巻の中で描かれた、挫折や甲藤の容赦のなさを思うと、私はめでたしめでたしにまとめる為だけのラストとは思えない。

彼らが消える結末は十分にあり得ただろう。アイドルじゃ人間には勝てない、でも今度こそ…!?と新しい世界に行き、こんどは芸術家になろうとしたり、マジシャンを目指してみたり。でもそうせず、アイドルで居続けるラストにしたことは、作者のアイドルと言う存在への喝采だと、信じたい。

 

ここからは余談ですが、私は隊長がキャラの中で一番好きです。隊長がただのカリスマになんでもできる美形だったら興味を持たないけど、ジャグリング下手くそだから好きです。それでいて人一倍練習して、人一倍練習を経験できることを強みだと思っていて、でもそこにどうだ俺は正しいだろうという自己顕示ではなく本当に努力できることを喜んでいる突き抜けたズレがあるから、きっとあの世界の私は隊長のうちわを持っている。(でも修吾のリサイタルにも行く。)