根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

嵐にコンビ曲をやって欲しい話~後編~

m1332.hatenablog.com

 

続きです。

⑥松本×大野

じいまごコンビはお互いに張り切って作りこんできそう。大野さんには、「まつじゅんにはとっておきの振り付けがあるの、ふふ」とかつぶやきながら振り付け作っていてほしいし、松本さんは全編通しての動きとか、照明とかいつも以上に張り切ってミーティングしてる様子が浮かぶ。その打ち合わせ風景だけで何時間でも眺めていられる。曲調は大野さんソロに近いしっとりだけど踊る系の曲がいいな。間奏で光の演出とか入れてほしい。

⑦松本×櫻井

先日の天体観測事件ではないけれど、この二人でやることが決まった場合双方がオタクの目線を気にしすぎてこっちが恥ずかしくなりそう。だからあまり制作には携わらず、外注の曲をやって欲しい。友情と言うかビジネスパートナー的な?格好良い系の曲で、仕事人間の情熱と哀愁を唄うようなものがはまりそう。

⑧二宮×大野

ここは超久しぶりに大宮SKを見せてほしい。そういえば嵐で数少ないコンビ芸の一つだったねSK…。二宮さんに「前回からだいぶ時間がたってますからね、彼らも成長しているわけですよ」とかにまにましてカメラに語らせたい。シュールさはそのままに、新規オタ(特に10代)がぽかんとするような独特の内容を繰り広げてほしい。

⑨二宮×櫻井

やまたろー!!ここは目を合わせていい系のコンビだと思うので、がっつり二人のエネルギーをぶつけるパフォーマンスが見たい。エアギターのパフォーマンス入れてほしいな、懐かしく。曲調は明るい王道アイドルソングで。「君の涙は僕がふく!」みたいな。

⑩大野×櫻井

山コンビには大人の余裕、を持って準備する姿が欲しい。でも大野さんには割とガチでハイレベルな振り付けを作ってもらって、櫻井さんが眉を下げながら苦笑しつつ必死で練習する姿が見たい。火が出てくるような少しダークでシリアスな曲とかどうだろう。大人の格好よさを見せつけてほしい。

 

と、やってみたはいいがどちらかというと演出より作成風景メインの妄想になってしまった…。個人的に特に見たいのは相葉×松本、二宮×相葉、大野×櫻井コンビです。いつかほんとにコンビパフォが実現しますように!!

 

嵐にコンビ曲をやって欲しい話~前編~

なんでもやってきた嵐だけれど、今までコンサートで見たことのない演出がある。それがコンビ曲だ。キスマイ、エイト、カツンがやっているのを見て、嵐にもやってほしい・・・と思って数年。なかなか実現されないので、コンビで見たい演出、を考える。これ他の人にもやってほしい。みんなのアイディアをすごく見たい。

ちなみにAMNOS順で並べているため前後順に関係はありません、あしからず。

 

①相葉×松本 

モデルズな二人にはtornみたいなカッコよくてセクシーな曲をやってほしい。私の中での泣き虫はBLAST IN HAWAIIでのピカンチ2ショが最強だし、この二人には背中合わせで歌ってほしい。嵐さんは普段あまりBLっぽい煽りとかしないけれど泣き虫コンビにタキシードとかモノトーンの服着せたらちょっと危ない感じになりそうですごくいい。

 

②相葉×二宮

にのあいで歌うのならば、プロデュースはすべて二宮さんにお任せしたい。というかそのメイキングが一番見たいかも。相葉さんのことをぶつくさ貶しているように見せかけて惚気て、にやにやしながら作詞作曲するにのみやさん。ミディアムテンポでメジャーコード、回りくどい友情物の歌詞とかがいいな。総武線が目に浮かぶような。

 

③相葉×大野

メッツコンビにはひたすら踊ってほしい!大野さん振り付けで、普段おさえているパワーを二人に思い切り発揮してほしい。身長差コンビである所にも萌える。

ダンサンブルでシリアスな曲をがっしがしに踊って、もういっそバク転してもいい!本当はお飾りだけのイヤモ二使ってほしい。間奏でずらすたびにオタクが発狂します。

 

④相葉×櫻井

ここも内容より制作風景がまず浮かぶ。ニタニタしながらラップを作る櫻井さんの顔が。相葉さんにラップパート入れてほしいな。ツアー最初はカミカミなんだけれどだんだんとマスターしていく様子とか、それをMCで二宮さんに弄られる定番ネタとか欲しい。楽曲はラブソングでどうだろう?「じゃなくて」みたいな損してるけどほんとはめちゃくちゃイケメン男子の歌を歌わせたい。リア恋枠の2人だけに!

 

⑤松本×二宮

ここは、敢えて制作風景を観ずに本編だけ楽しみたい。めっちゃクオリティ高そう。そして製作時間めちゃくちゃ長くなりそう。

内容は…松本さん、ピアノやりませんか?キーボードでもいいから。ニノに久々のギターを披露してもらって、一緒に演奏する二人が見たい。ジャニワのけんしょりMilky Wayの時のイメージ。シーソーはしなくていいけど。アコースティック風のラブバラードをやってほしい。松本さんもオタクも全部二宮さんの手の中で転がされてしまいそうだけれども。

 

と、思いつくままに綴ってきたけれど楽しい!だけど本当はもっと深く熟考して語りたい。残り五組

松本×大野

松本×櫻井

二宮×大野

二宮×櫻井

大野×櫻井

は明日綴ります。おやすみなさい。

アイドルの残酷さとそれでもやっぱりジャニーズが好きな話

ジャニーズが好きだ。許せないと憤ったこともあるし、今でも許せないこともあるし、なんでそんな道を選んだのと失望することもあるけれど、それでも好きだ。

2次元も2.5次元もキャラクターも同性も見てきたけれど、それでもここに帰ってきてしまう。それは、どうしてなのだろう。答えは多分見つからないのだけれど、強いて言うならば、を今日は考えてみた。

あらかじめ話すが、これは何が上で何が下だとか、何が良いとか悪いとかを話したいわけでは決してない。ただただ、今夜ふと考えた、個人の好みの話だ。

 

私がジャニーズを愛する理由は、そこが終われない国だからだと思う。

 

女性アイドルは、いつか卒業することをどこかで前提にしている。これは大人数で流動性のあるアイドルに顕著にみられる特徴であり、もちろん必ずしもすべてに当てはまるわけではない。その意味で、ももクロPerfumeの今後については別の日に深く綴ってみたいと思っている。しかし、アイドルは、アイドルであることを通過点、として見せており、その先に芝居、モデル、歌手、等新たな目的が存在する。言い換えれば、芝居、モデル、歌手、に専念することとアイドルでいること、は多くの場合、両立しない。

伝統と格式のある宝塚でさえ、類似したことが言える。彼女たちは、宝塚歌劇団の人間としてある種、普通の人とは離れた表現者として生きることを求められる。実の名前を取られ、芸名をつけ、そこにさらに愛称がつき、年齢を非公開にし、男役に至っては人前に出るときの性別イメージさえも、舞台から降りた時でさえ奪われる。しかしそれも、「退団」という儀式が彼女たちの人間宣言となり、解放される。

 

二次元に入ると話が少し変わる。彼等には終わらない物語、を付与することが可能だ。しかしそれは各々の脳内で処理をされる話なのだ。結局のところ、対象とされる人物が生きてはいない。いや、複数の無限の命を持って、生きているとも言える。漫画も、アニメも、好む人物の頭の中で、何度も死に、何度も抱き合い、いつまでも存在し続ける。

 

そう比べてみた時に、ジャニーズってなんなのだろう。と考える。何も上記の点を比較するだけならば、ジャニーズに限った話ではない。俳優や、お笑い芸人など、長く続き、終わることを前提としない生身の人間ならば、終わらない物語を作られる、と言える。それでも私が「ジャニーズ」という限定の仕方をしたのは、個人の好みに基づいた話題提起である以上に、そこが「あまりにも人間らしさとかけ離れた煌めきを持つ者の集まった、終われない国」だからだ。

 

私たちは、私たちの都合で彼等を成長させる。数年前の映像を見て、目つきが変わった、姿勢が変わった、痩せた、肥った、etcetc…それでいて、自分たちに都合の悪いことを、変わらない、と言い張る。「一生懸命だ」「いつもファンを考えている」「恋愛スキャンダルがない」等、等。成長したいところだけを成長させ、成長してほしくないことを、知らないふりしている。けれどその身勝手は、あのKING OF PRISMに勝るとも劣らない天地が引っくり返るような煌めきと歓声と光と音の中に、消えていく。そんな時に残酷ともとれる遊びを、私たちは何度繰り返してきただろう。

それでも、やめられないのだ。その目の前にいるのが、生きている人間だから。たくさんの身勝手を投じ、期待をし、妄想をし、たまに勝手に裏切られたり、報われたりした気になりながらも、それがまやかしだと心の中で言い訳しながらも、ほんのひとかけらくらいは、キャッチボールが成立していると思っているから。だって、それが、彼らの仕事だから。しぐさも、言葉も、パフォーマンスも、その100%がまやかしだったら、どんなに酒池肉林が愉しめる稼業でも、それだけでここにはいないだろう?パフォーマンスへの努力も、芝居に対する情熱も、そこには確かな努力があり、成果となって人の前に映っている。指で弾いて灯した光に、零れた笑顔には本当がほんの少しでも、混ざっているはずだ、そう思っている。思いたいから、私は結局ジャニーズという畑に帰ってきてしまう。

 

そしてジャニーズのことを、「終われない」と綴ったのは、男性アイドルが解散を前提としない存在であることと、もう一つ、その煌めきを、舞台から降りた人間にも、受け手は探し続けることをやめられないからだ。具体的に誰、という話をしたいわけでは決してない。しかし、我々の妄想を抜きにしても、舞台を降りた人間から実際に、その光がどうしても漏れてしまっている。その光の粒を見つけてしまうたびに、この王国の哀しいほどの煌めきを感じ取ってしまうのだ。

 

いつか物語の根幹が崩れる日が来るのかもしれない。本のカバーが壊れてしまってから、敷き詰められたページがどんな風に広がるのかは私には想像がつかない。だけどもう少しだけ、このかっこよくてダサくて、眩しくて暗い国で、夢を見続けたい。

オオカミ少女と黒王子を見てきた話

(若干のネタバレを含むのでご注意ください)

遅ればせながら、映画「オオカミ少女と黒王子」を見てきた。

結論から言うと、めちゃめちゃ面白かった。

正直、この手の少女漫画実写化ものがありふれ過ぎる昨今に辟易していたし、主演がどこもかしこも同じ人間であることにも、作り手のアイディアが貧困すぎやしないかといらいらしていた。かくしてあまりいい印象を持っていなかった映画なのだが、先に見てきた友人がこの映画の山崎賢人は見たら絶対に惚れる、と絶賛するものだからだんだんと気になってしまい、結局見に行くこととなった。

 

作品のあらすじは不器用女子と俺様男子の王道ラブストーリーなのだけれど、描き方と演出がとてもシンプルで良かった。一番好きなのは、二階堂ふみ演じるエリカが、風邪で寝込んでいる恭也(山崎賢人)の家に看病に行った帰り道、一人で「今夜はブギー・バッグ」を歌うシーン。エリカの歌い方は大声でも、とびきり軽やかというわけでもなく、好きな人との時間を過ごせた喜びから、自然と声が漏れていくようなものだ。そしてこのシーンはかなり長いのだが、観ているうちになぜか涙が出てきそうになる。それはこの曲のマイナー調の旋律と、エリカは恭也への恋心に気づくもそれがまだこの段階では、周囲のために体裁を取り繕うための偽物であることへの空しさ、から来るように思う。このシーンの淡いリアリティから、ヒロインは二階堂ふみがやって大正解だったと思った。

オープニングのシーンも良い。エリカはいわゆるウェイ系の女子グループに属していて、本当は身の丈に合っていないのだけれどついていくために必死だ。必死なあまり、彼氏がいると嘘をつき、その証拠づくりのために渋谷の街で見つけたイケメン(恭也)に突然カメラを向ける。この一部始終が、あらすじの文章で見ると少女漫画にありがちな無茶な展開、にすぎないのだけれど、映画のシーンでは本当に普通の学校にいそうな女の子のが、必死の思いでやった行為だと伝わる。そしてそんな不審者まがいのことまでして、友人との付き合いを守ろうとしている様子に、実際のJK社会でも同じようなことはあるのかもしれないと少しさみしい気分になる。

 

キラキラしたストーリーでありながら、いたずらに効果音やプリクラのようなデコレーションを画面に散りばめるのではなく、あくまで優しいタッチで登場人物の成長を描く演出に、好感が持てた。

 

またベタな少女漫画ものですが、と侮るなかれ。作品ごとに違ったタッチや見せ方がある。「黒王子」というとどうしても2月公開の「黒崎くんのいいなりになんてならない」とイメージが被るのだが、実際に見てみると全く違うアプローチ方法だった。どちらも良作なので、その違いについてや、そのほかも含めた少女漫画実写映画の作風比較についてまたゆっくり綴りたいと思う。

 

 

wwws.warnerbros.co.jp

JIVEとナイスな心意気と価値観の話

SMAPのアルバム曲「JIVE」と嵐のシングル曲「ナイスな心意気」が好きだ。なぜこの二曲を並べたのかというと、好きな理由が似ているからだ。

二曲とも、ちょっとくらいダメでもいいよ、と普通の人生を肯定する歌詞だ。ダメでもいいよ、ちゃんと見てるから。私たちはずっと、誰かにそう言ってほしいのかも知れない。

例えば、JIVEでは、
「たまには 自分を 許してあげよう 適度に 気楽に手を抜こう」
と力を抜いたことを言いながらも、
「喜び 悲しみ 密かに見つけて シャラララ ワクワクしよう」 
「心の中までは そう 縛れやしない」
と心の一部で、飛び回り自由を謳歌することを勧めてくれる。ささやかな優しさと、微笑みが見えるかのような歌詞。

ナイスな心意気は、
「ルックスでばっか勝負するやつに 多分なりたくないんだ」
という歌い出しに発売当初驚いた。当時の自分のジャニーズに対するイメージはまさに「ルックスでばっか勝負するやつ」で、そんや彼らが自己否定的な歌詞を使うシニカリズムに惹かれた。ジャニーズを深く知った今となっては、当時の嵐はデビュー当時の人気が落ち着いた停滞期で、これからどうしたらいい?まさに「ルックスでばっか勝負」ではやっていけないと自問する歌詞だったのかもしれない、ととれるけれど。
そこに続く歌詞が、
「単細胞でいこうぜ どうせ未来は手強い」
「こけたり ムダしたりしてる」
「今がすべてじゃないから あんまりムキになんなよ ウソもつくしインチキしても 誰かを助けてる たまに」
今を諦めながら、困り顔でまぁいいじゃないかと腰をあげる青年たちの姿が浮かぶ。
それもそうだな、またほどほどに頑張ろうか、なんて凡人として心のストレッチをしたくなる。そんな歌だ。

ダメでいい、普通でいい、それを本来なら正反対のキラキラした人間が歌う世界観が、私は好きだ。

ディズニーランドと夢の話

小さい頃からディズニーランドが好きだった。パレードで流れる、大音量の音楽を聴くと胸が締め付けられるような切なさと、今すぐにでも走り出せそうな高揚感を感じた。ミッキーがミッキーじゃないことくらい頭でわかっていても、手をぶんぶんふるし写真も撮った。幼い私にとってディズニーランドはハレ、のイベントの代表だった。

だからハレの終わりには取り分け敏感だった。テーマパークにいったり、旅行にいくと大体、昼間の16時頃から私は元気がなくなる。学生時代の日曜日もそうだった。もう少しで終わりが近づいてくる。その感覚に耐えられず極端にテンションが下がることが多かった。そして夜になると、残りわずかを楽しむしかないという開き直りと、花火やパレードのナイトイベントに心踊らせ、走り回るのが常であった。

ひとときの夢が好きだ。幼い頃からどこか冷めていて、日常は願いの叶わない、つまらなく退屈なところだと思っていた。それを変えられないのだから、一瞬の強い輝きを見つけ、その思い出に浸りながらまたつまらない日常を過ごせば良いと、思っていた。
そんな自分が大きくなって、アイドル、舞台芸術などのエンターテインメントにずぶずぶとはまっていったのは至極当たり前のことなのだろう。

毎日に、現実にもう少し向き合わなくてはいけないと思いつつも、心は常に一時の夢の中にある。もっとたちが悪いのは、そんな風に諦めたことをいっていながらも、日常という地面もいつか、雲がふわりと浮かぶように、煌めく夢のような賑わいを見せてくれやしないかと、そんな日々を作れないかと期待することをやめられない自分なのだろう。

キミの夢を見ていたとアイドルを好きでいるということの話

嵐の2014年アルバム「DIGITALIAN」に収録されている楽曲「キミの夢を見ていた」が好きだ。明るく伸びやかでいて、切なさを滲ませるメロディーと、アイドルからファンへ、ともファンからアイドルへ、とも取れる歌詞が、心を揺さぶる。

例えば、
「いつだってそばにいるよ 例えば君が笑うだけで 僕は僕でいられた」
「輝いて もう泣かないで この素晴らしい世界でほら 君のことを見つけた」
特に好きなのはこの2つの歌詞だ。
「君が笑うだけで 僕は僕でいられた」は「僕」という男性一人称から、アイドルがファンの笑顔を見るだけで自分を保てる、と(ものすごくファンのエゴではあるが)解釈できる。一方で同じ歌詞を、アイドルの笑顔だけで困難な日々をなんとか生き抜いていける、というファンの思いともとることができる。
そう、私たちは「この素晴らしい世界で」「君のことを見つけた」のだから。

また、
「時代はどこまで 僕らを追いかけてくるだろう」「風を背に受けよう」ここはもう、嵐が歌ってこその歌詞で。ある時突然トップスターとして扱われて、戸惑ってもがいて、今やっと立場を受け止めながら前だけを見ている、そんな彼ららしいフレーズだ。

アイドルを好きになること。好きでいること。そこから見える景色がある。そこに好きな人がいなかったら、いかなかった場所があって、会わなかったはずの人がいて。これはもちろん、アイドルだけに言えることじゃなくて。アニメも、漫画も、趣味の世界すべてに言えることなのだけれど。ただ、アイドルという、生身の人間でありながら、人間離れした煌めきを持つ人が中心だと、そんな広がりが自分の中で、余計に刺さるときがある。