根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

クリスマスの思い出

子供の頃も今も、クリスマスが好きだ。
恋人がいないからクリスマスは憂鬱でもなければ、自虐に走って女子会をすれば楽しめる!でもなく、ただクリスマスの空気が好きだ。
 
こどもの頃は、サンタクロースが24日にやって来る。夜、眠るときの心のときめきが毎年の楽しみだった。
一晩明けたら欲しかったものがもらえる、それだけではなくてとびっきりの幸せがやってくるような、そんなワクワクがあった。
小学校に入ると、サンタはいないんだよ、と誇らしげに話す子がいた。
背が高くて気の強い彼女は「だってレシートがあったもん、ママがトイザらスで買ってきたんだよ!」
まるで探偵になったかのように、強い口調で豪語し、そうだそうだ!と集まる子達を従えて満足そうだった。
 
私が、サンタがほんとにいると思っていたのかは正直わからない。
毎年枕元にプレゼントがあるのが楽しみだったけど、ある年人生ゲームを頼んだら、当然枕には置けないサイズで、
部屋の角っこのカーテンの中に包装紙にきれいに包んだ箱がおいてあるのをみて、なぜかちょっと笑ったことを思い出す。
それでも母は、サンタがココアを飲んで帰っていった話をしてくれたし、特に仲の良かった母方の祖父は、おじいちゃんはサンタの友達だから、とプレゼントを別にくれて、祖母に後で甘やかすなと叱られていたりした。祖父が叱られる光景も見ていたけれど、私は祖父からサンタとご飯を食べた話を聞くのが好きだった。
 
それでも一度だけ、サンタはいないんでしょ?と親に言ったことがある。クラスの子たちに影響されて、いないって見破るのがかっこいいことに思えて。
もしかしたら、そんなことないよって言ってほしかったのかもしれない。
しかし母は、「いないと思ったら、サンタはもう来ないんだよ」とさらりと言った。
見破った達成感なんてちっともなかった。
いないと思ったらプレゼントがもらえなくなってしまうからではなく、サンタが来ないという響きが冷たく、怖く思えた。
それからサンタがいない、と言うのはやめた。
 
少し年を重ねたある時、今年はサンタに何を頼むの?と聞かれなかった。
毎年11月の下旬には、サンタに言っておくから、と聞いてくれるのに。
たまに、サンタの国にはなかった、と違うものの発注を、推奨されることもあったのに。
何にも聞かれないことはさみしくて、不安だった。けれども私は、自分からサンタには今年はこれを頼みたいの、と言わなかった。
そもそもその年には、いわゆる「おもちゃ」で私の欲しいものも特になかった気がする。
12月24日の夜。いつもなら楽しくてワクワクして仕方ないはずなのに、その年は何だか寝てしまうのがこわかった。
それでも起きたら、何かが待ってるんじゃないか。そんな気持ちを一生懸命に抱えて、目をとじた。
 
朝起きると、枕元には何もなかった。
 
そりゃそうだよね、何も頼んでないのだから。そう思いながらもどこかひんやりした気分で布団からでて、起きる準備をしていると母がやってきた。
「今年はママサンタからプレゼントです♪」
それは当時の私には少しお姉さんのブランドの、長財布だった。
ありがとうと少し笑って、私はその財布を受け取った。かなり大事にして、中学を卒業する少し前まで、使っていた気がする。
私の信じた小さな嘘が、おしまいを告げた時だった。
 
今でもサンタはいると思っている。指輪をくれる恋人でも、おもちゃ箱を開けてくれる白ひげのおじいさんでもないけど、
世界にひとつのキラキラを振りまいて、毎日をクリスマスイブにしてくれる魔法使いを、私は信じてる。

ジャニオタが少年ハリウッドに出会った話

アイドルが好きだ。光の中で精一杯に手足を伸ばし、僕はここにいるよ、キミを幸せにするよと誓約する人が好きだ。
私の好きな人は、よく「幸せにする」と言う。抱きしめられるわけでも、ご飯を御馳走できるわけでもないのに。
光を見せることで、幸せにする、と迷いなく誓う。その言葉に導かれて、私はここまで生きてこれた。
 
最近少年ハリウッドというアニメ作品に出会った。アイドルが好きな人ならば見るべき、という評判を聞いてdアニメを登録し、早速見始めた。
私はアニメを見る習慣がない。嫌いなわけではなく、単純に習慣がなかった。テレビドラマが好きで、アイドルが好きで、アニメまで追う時間がなかった。
でも、少年ハリウッドは完走した。
途中でしんどくなって立ち止まることがたくさんあったけど、最後までしっかり目を見開いて、見た。
 
少年ハリウッドとは、アイドルがアイドルになることへ向き合うお話だ。
 
舞台の上に立つ人は、普通じゃないことを普通にやってくれる。
 
つい先日、アイドルのDVDを上映している飲食店で、一人で昼食をとっていたら隣の女性に話しかけられた。
長い髪で、ネイルを綺麗に施した、40代くらいの明るい方だった。四国から、コンサートを観に来たという。
彼女は昔、コンサートの最前列で、好きな子が目を合わせ微笑んでくれた話を教えてくれた。
いかに嬉しかったかを、まるで昨日のことのように話しながら、彼女は言った。
「日常生活だったら、考えられないことじゃない。親よりも年上の女性に、恋人みたいに微笑みかけるなんて。」
初対面の私になぜそんな話をしてきたのかはわからないが、その通りだ、と思った。
例え最前列であっても、舞台と客席、という仕切りがなければ成立しないやりとり。それを、人がやっている。
友達が迎えに来て、荷物をいそいそと片づけ会場へ向かう彼女が、今日も幸せでありますように。私は背中を見送りながらそう祈った
 
少年ハリウッドではその、舞台の上に上がることで人が何かを纏っていく、そうして誰かの憧れになるという過程と、その過程と向き合う少年たちの心情が実に丁寧に描かれている。
 
ぜひ多くの人に見てほしいため、エピソードのネタバレも含んで紹介するが、少しでも興味を持ってくれた方には私の不確かな文章ではなく、ぜひ本編で確認をしてほしい。今ならdアニメストアで配信中だ。
 
第一話のテーマから紹介したい。
「恥ずかしいことを恥ずかしそうにやることほど、恥ずかしいことはない。」
アイドルグループ、少年ハリウッドには自己紹介がある。
「キミの宇宙は僕の宇宙、つまり僕はキミに夢中!」
「約束なんて、守れない。だって僕が守るのは、キミだから!」
一つ目はグループの語り手的存在の風見カケル、二番目はアニメ本編ではなく小説版に出てくる初代少年ハリウッドのメンバー、大咲コウさんのセリフ。
少年ハリウッドは、小説版の初代少年ハリウッドと、アニメ版の彼らの解散15年後に再始動する新生少年ハリウッドの2つのお話がある。
どうしてもアニメを見る習慣のない人には、まず小説版から手に取ってほしい。とても読みやすく、それでいてハッとさせられる言葉に満ちた作品だ。
私はこの二つの論理飛躍しているところが、アイドルらしくて大好きだ。
一つ目のカケル君のは、宇宙という突然の壮大な言葉にまず驚かせられる。そして、キミの世界に僕がいるなら僕はキミに夢中だと、突然に迫られる。
本当なら、「つまり」という接続詞は通らないはずだ。
二つ目のコウさんのセリフも同じだ。キミを守ることと約束を守ることは両立しうるはずで、約束を守らないことがキミを守ることで帳消しにはされない。
とんだ無茶を言っているのだけど、言い切ってしまえば、本当になる。それが、アイドルの力だ。
私は、アイドルが言ういわゆるこうしたセリフは、「化かす」要素があるのが面白いと思う。だって全員と約束なんて守れない。でも守った気に、させることはできる。
そんな魔法を使えるようになるには人間から魔法使いに変身しなくてはいけない。だから、恥ずかしがっている場合ではない。
こうした自己紹介を、当然最初はうまくできない少年たちが、少しずつ魅せることを身に付け、恥じらいを捨てていく過程を目の当たりにすることから、この話は始まる。
 
他にもエピソードの一つに、彼らがオーディションを受けるシーンがある
オーディション合格の条件は、「舞台に上がることができるかどうか」。
少年ハリウッドとは作品名だけではなく、劇中に登場するアイドルグループの名前でもある。彼らは原宿にある劇場、「ハリウッド東京」で毎日のようにライブを行っている。。
これは私の想像だが、アニメを見る限りハリウッド東京の舞台は、決してとても大きいというわけではない。キャパシティとしては、シアタークリエくらいではなかろうか。
舞台と、観客席の階段もとても高いわけではない。階段を数段上がれば舞台に上がれる。
しかし合格の条件は、その舞台に上がれるかどうかなのだ。
(これだけ語っておいて大変恐縮だが、オーディションのエピソードは、アニメのDVD特典のドラマCDだ。
その入手困難性はひとまず置いて、ぜひともこの作品の世界観を伝えたい。)
 
のちにアイドルグループ、「少年ハリウッドになるメンバーたちは実に様々な対応をする。
何も衒わずに舞台に上れてしまう強さのある子、神聖な場所と直感で感じ取り、靴を脱いで上がる子、その神聖さに上がることを拒む子。
5人5様の対応を、事務所の社長(劇中ではシャチョウ、の表記かつ発音)は見つけ、アイドルへ育て上げる。
 
前半は、こうした彼ら自身が普通の人間からアイドルに変わっていく過程、自我や覚悟の形成についての物語だ。
ジャニオタなら、少年倶楽部を見て、突然顔つきが変わっていく子にハッとする瞬間はないだろうか?今でいうならば、Hi Hi B少年辺りの彼らに。
その時に彼らの心に何が起こっているのか、どんな気持ちが形成されていくのか。人は見られることで魅力的になる、とはよく言うが、それだけではない心情面を、少年ハリウッドを見る中で推し量れていく気がする。
 
また、アイドルが求められるもの、についてシャチョウはこんなことを話す。(原文ママではなくニュアンスである)
「アイドルはいろんなものを求められる。それは矛盾だらけで、手の届かない存在であってほしい、恋人になってほしい、家族のようであってほしい、もっと近くにいて欲しい、もっと遠くに行ってほしい。そのすべてに応える方法はただ一つ。全部出すってことなんですよ。」
きっとこの正解は、自分の信じたものを出し切るってことなんだろう。家でぼさっとした髪のままの自分を見せてしまう、という意味の全部見せる、ではなく、自分が本当に思うものをみせること。
だからアイドルの作る景色に正解はない。自分の本当に思うもの、は当然人によって違うのだから。
 
そして、少年ハリウッドは、綺麗なばかりの世界を描くわけではない。切なくなったり苦しくなるところもたくさんあるけれど、ちゃんと芸能界らしい阿漕さがある。
そこにリアリティがあって、私はとても好きだ。
例えば、先ほどのオーディションの話。
主人公の風見カケルは、ごく普通の高校生。(ただし顔は恐らくハチャメチャに美しい)
アルバイト先のスムージー店で、シャチョウに突然スカウトされる
自分が芸能界に行くなど思いもしておらず、戸惑う彼はあらゆる手で誘おうとするシャチョウとマネージャーの勅使河原(テッシー)へ丁重に誘いを断る。
諦めたように振舞いつつ、最後にシャチョウは、彼が自分の意志でもう一度劇場に来たら、決して手放してはいけないとテッシーへ伝える。
そして翌日、カケルは劇場へ自ら足を向ける。
喜びのあまり興奮が隠せないテッシー。そしてシャチョウに言われた通り彼を離さず、アイドルの世界に連れていく。
しかし、彼が戻ってきたのはやっぱりアイドルになりたかった、からでは決してない。
 
配達のジュース代を貰えてなかったからなんですよ!!!!
 
店頭でスカウトを試みてもうまくいかなかったシャチョウは、大量の注文を彼に劇場まで届けさせる。
届けたところで、キミの夢は何か、と問いかけ、カケルは真剣にその答えに迷ってしまう。
「先生、親、なんでみんな、夢は何かって聞いてくるんでしょう。そのうえ知らないあなたにまで、どうして夢を聞かれなきゃいけないんですか。」と。
彼のいいところは、このようにわからないことをわからない、と言えることだ。彼は変な格好のつけ方をしない、自分から、ぐいぐい前に出るタイプではない。しかし。
その空っぽさが、後に少年ハリウッドを強くしていく
ここでのシャチョウの返答もよい。
「それはきっと、あなたに夢をみたいからなんじゃないですか」
そうしてそんな深ーいやり取りをするうちに、カケルくんはお金をもらうのを忘れてしまう。だから翌日、慌ててジュース代を回収にもどってきた、それだけ。
 
確実にシャチョウのこのやりとりは、彼にもう一度劇場に来させるための確信犯だ。
けれども、自分の足で戻ってきたのだから、ということでテッシーが頑張ることで、カケルはアイドルになってしまう。ある意味、人生を狂わされてしまう。
手に入れると決めたものは、味方までも欺いて手にしてしまう。これって決してクリーンではない、でもリアルな、芸能界の阿漕さだ
こうした側面は作中の随所に登場する。一見あたたかくて優しい目線の作品なのだけど、よく見るとシニカルで、深く楽しめる要素がある。
 
他にもお勧めしたい理由となるエピソードは沢山あるのだけれど、最後に握手の話をする。
握手。ジャニーズでも駆け出しの時期には多くイベントが開催されている。
近づくことで、一瞬でも話しかけられることで嬉しい気持ちはあるし、その接触して自分を見てくれた瞬間が癖になって、何度も通ったり、必然的に会うためのCD購入を繰り返したり。これはあらゆるアイドル市場で起こっていることだ。
そこにも少年ハリウッドは切り込んでくる。
ハリウッド東京という聖地で、毎日のように公演をし、終了後はお見送り兼握手会がある。
それがだんだんと一般化し、メンバーにメールアドレスを渡し、簡単に付き合える、という幻想を抱いてしまう人も出てくる。
その中でシャチョウは握手会を中止し、街中での偶然の握手こそが重要だ、と原宿で、言うならばかくれんぼ的なイベントを行う。
(このイベントはメディアミックスとして実在する少年ハリウッドの公式ライバルグループ、ぜんハリが実際に行っていたそうで、そこもすごい)
街中で偶然出会うファンに、自然でいたメンバーがアイドルとしてスイッチオンする瞬間が、なんとも印象に残る。
例えば、本当は甘いものに興味がない末っ子メンバーのキラが、甘党のリーダー、マッキーについていっているところ。
彼らを見付けたファンはパブリックイメージで逆の印象を抱く。「マッキーやさしい!キラくんと一緒に並んであげてるんだー♥」と、勝手に解釈する。
しかし瞬時に、二人はそれにこたえる。「僕、甘いのだーい好き♥」と元天才子役の末っ子、佐伯キラは笑う。
(彼の覚悟と振る舞いには個人的に山田涼介くんに近いものを感じる。自分の趣向と異なることも、すると決めて、運命を受け入れて、やりきろうとする)
また、イベントの趣旨に懐疑的な、一番アイドルから対局、そしてアーティストを目指す普通男子のシュンくんは、単独行動で裏原の服屋へ赴く。
好きな服を前にして、いーじゃん、なんて思いつつお財布事情からウインドウショッピングで終えようとしたところ、ファンに出会う。
「シュンシュンみーっけ!似合いそうー!!その服買うんですか?」キラキラした目でファンに見つめられ、その期待に応えようと、結局彼はその洋服を買う。
私は、これが彼の好きな服だっってところにきちんと本当が含まれていることもみそだと思う。すべてが嘘ではなく、本当を背伸びさせ、彼はアイドルとしての理想に応えるためにちゃんとカッコをつけるのだ。
みんな自分を少しだけ殺し、自分を待つ人に求められる姿を演じるのだ。
 
最後に無限の空っぽさを持つカケルは、夕暮れに一人のファンに出会う
彼女はカケルに会って大事そうに握手をして、そして、「握手なんて、できない位の人になってください」と言う。
握手なんてできない位、東京ドームを一杯にして、売れて、遠くに行って、今日の握手が特別なものになるような人になってください、と。
これってなかなか言えることではない。
前述のシャチョウの言葉の通り、ファンがアイドルに求めるものは矛盾だらけだ。
恋人のようでいてほしい—――でもそのためにきれいな所作をするには、実際の恋愛経験がなくちゃ無理なんじゃ?
そんな矛盾を無視して、アイドルなんだから恋愛したら自覚がない、と一刀両断してみたり。
もっと売れてほしい!と言いながら、箱が大きくなれば遠くに行ってしまった、と寂しがってみたり。
だって好きだから、求めてしまうから。言いたいことを100人が100通りで言ってくる。もうめちゃくちゃなわけだ。
それなのに、彼女は遠くに行くことで今日が特別になる、という。これを言えるファンの彼女に、幸せになってほしい、と胸を締め付けられる。
 
長く書きすぎてしまったが、すこしでも多くの人に少年ハリウッドを見るきっかけになればと思う。
それはきっと、アイドルや、何か煌めくものがすきな人であれば、貴方の好きなその人を見る目が、さらに深まるきっかけになるに違いないから。

最後の笑顔

目が覚める。枕もとの携帯で時間を確かめる。午前7時15分。いつもアラームを2回止めると、この時間だった。もうそんな必要もないのに。目をこすって天井を見上げる。ライトグレーの壁が目に入る。もう少し寝ようか。でも、眠れそうにないことはわかっていた。ベッドを出て階段を降りる。少し体が重い。

もう人の目を気にする必要も、食事のバランスに気を付ける必要も、毎日筋トレする必要もない。そんな一つ一つの仕草をいつものように自然にしてしまっては、「そっか、もう必要ないんだ」と気づいて力が抜ける。

僕がいたところは特別な場所だったんだ。「普通の人」のように電車に揺られ、ファストフードを選び、ぼぅっと窓の外を見つめる。いつものクセで深く被っていた帽子を外してみる。外の光がまぶしい。誰も自分に声をかける人もいない。まぁ、そうだよな、なんて思いながら、どこからか心に冷たい風が吹いた。

バックの底から、少し端の折れたハガキがでてくる。だいだい色のドット柄。そういえば自分のメンバーカラーはオレンジだったっけ。普段は黒しか身に付けないのに。丸い文字で書いた「いつも、応援しています(*^-^)ーーくんの笑顔が大好きです…!!」の一文を見ているうちに、視界がぼやけてくる。なんでこんなことで泣いてるんだろう。

なんだか急に背筋が伸びた。スクランブル交差点を歩く。少しノイズがかったスピーカーから聞こえてくるのは、つい一ヶ月前まで一緒に踊っていたアイツの声だった。相変わらず、高音になると声がかすれる。ふっと口元が緩んだ。

 

 

 

靴ひもを結んだ これは新しい靴
どこにでも行けるさ でもまだ馴染まない

靴擦れのように胸がズキズキと痛むよ なぜだろう?
何かが足りないな 僕の隣
君の手握っていた 毎日は当たり前じゃなかったと知ったよ

無理して笑って歩き出すよ 笑顔が素敵って言ってくれた
君が嘘つきにならないようにね
笑顔で歩くよ 君のいない道
miss you

靴ひもがほどけた それは僕らみたい
どちらかを引っ張ると 結び目はほどける
時間ってさ思い出をキラキラと美化して困っちゃうね

あの時公園で待ち合わせた
君の目潤んでいた 最後は笑顔と約束したのにな

無理して黙ってさよならしよう 強い人ねって言ってくれた
君にいいとこ最後も見せたいから
胸張って歩くよ 潤んだ瞳で
miss you

君のいない日々 慣れてしまいそうだよ
まいったな それでも 街で君を探してしまうよ

無理して笑って歩き出すよ 笑顔が素敵って言ってくれた
君が嘘つきにならないようにね
笑顔で歩くよ 一人でも

無理して黙ってさよならしよう 強い人ねって言ってくれた
君にいいとこ最後も見せたいから
胸張って歩くよ 潤んだ瞳で
miss you

 

あとがき

Sexy Zoneの「最後の笑顔」

一番最初に聞いた時から、私にはこの曲がアイドルをやめた男の子の話に聞こえました。

「君」はずっとささえてくれたファンを、「素敵」と褒められたのは彼が舞台の上で振りまいた、キラキラと粉のかかった笑顔なのだと、勝手な解釈ですが、そう思いました。

だから、「笑顔が素敵って言ってくれた 君が嘘つきにならないようにね」という歌詞にはどうしても泣けてきます。「君」は僕をもう覚えていないかもしれない、それとも、急にいなくなったことに悲嘆して泣いているかもしれない。でも、僕はあの時ほめてくれた「君」を嘘つきにしないために前に進む、そんな瞬間があるとしたら、きっと彼らが輝いていた瞬間はいつまでも、いつまでもあったということになるんじゃないのかなと願ってしまうから。

そして彼は「無理して」笑って歩き出す。過去の痛みに、今の新しさに、まだ慣れていない。でも最後に、高らかに、本当に明るくmiss youと歌い上げる。音で聞くと、語尾に!がついて聴こえるくらいに元気のいい歌い方なんですよね。直訳したら、君が恋しいぜ!そうやって明るく後ろを振り向けるということは却って、もう舞台には戻らないんだろうなという気持ちが、伝わってくる。


人が人である以上、まるで人ではないかのように煌めき続けることは、そもそもが難しい。時間を、プライドを、欲望を捨て、それでも手にしたいと思うものがあるときや、それでも何かに手を伸ばさないと立てない境遇にいるとき、その道を進み続けて何かにたどり着けたごくわずかな人が、人ではなくなり人の心を動かすことができる。でもそこまでの献身をしたところで、永遠にそんな美しい関係を続けることは、できないんですよね。だって、時間は止まらないから。だけど時間が進むということと、永遠は可能になるという願いを一緒に虹のように空に投げて描くのが、きっとアイドルという存在なんだと、私は思います。

全ての輝きが、ちゃんとあなたと、あなたにとってのキミの足跡になっているよ、そうすべてのアイドルと彼らを見つめる人に伝えたくて、この話を書きました。

私がアイドルを初めて知った時

その日私は、ただぼうっとテレビを見ていた。あれはいつのころだっただろう。小学生になるかならないか、それくらいの幼い時期だった気がする。

画面の中から、軽快な音楽が聞こえる。それはどこかで聞いたことのあるメロディーで、数フレーズ流れたあと、また別の曲に変わる。今度はミディアムのバラードだ。この曲も、冬の時期によく聞いたことがある。画面に目を向ける。まっすぐな目で歌い踊る男性が、映し出されている。その中の一人は、私が毎週楽しみにしているバラエティー番組のレギュラーだった。その番組は全国から探し出した逸品を2種紹介し、出演者がどちらが食べたいかを投票する。多数決で多かったメニューを選んだものだけが食べることができる。単純なルールだが、私はその番組が大好きだった。番組内でいつも周囲の予想を裏切る投票をして、勝ったときは恨み言を言われ、負けては笑いものになっているのが、まさに画面の中でタップダンスをしている彼だった。

この人歌って踊れるんだ。新鮮な驚きが自分の中に走った。たしかに聞いたことのある、もしかしたら知らずに口ずさんだこともあるかもしれないポップなメロディーと、その彼が全く結び付いていなかった。

かっこいいな。思えば、その日は初めてかっこいいという言葉の意味を知った日かもしれない。

楽曲が一通り流れた後、さっきまで真剣な顔で歌っていた男性たちが笑顔で語り掛けてきた。

「みなさんこんばんはー!」

眩しい。まるで太陽、のような明るさだった。ドキッとした。それが異性に対するときめきだったのかはわからない。ただ胸が動くことを、ドキッとするというのは心臓が動くからなんだろうな、こんなにも一つのものから目を離せなくなるからなんだ。そんなことを知った。

メンバーの1人が30歳になった、という話をしていた。無邪気な笑顔を浮かべる、まるで子供のように無邪気な笑顔の青年が、30歳になったばかりの彼に言う、「おじさんっ!!」

「お前、いまおじさんっつったな!」すぐさま青年は頭をとらえられ髪をかきむしられていた。みんなわらっている。でも彼は、私のそれまでに知っているおじさん、という存在とはあまりにも明るく、弾んでいて、かけ離れていた。

カッコいいな。誰か一人にではない、何だかその空気に、画面に対してぼんやりと心で投げた。

 

私は幼いころ、時間が過ぎるのがどうしようもなく怖かった。夏、コンビニでペットボトルを買っては、冷たいうちに大急ぎで飲み干した。ぬるくなったものを感じるのがこわくて。時間が過ぎること、そのものの最高の状態がなくなってしまうことが、見たくなくて、何かにずっと焦っていた。

人が年を取ることにも同じものを感じていた。30歳を迎えたメンバーをおじさん、という彼らを見て、彼はちっともくすんでは見えないけれど、30歳、とは決して褒められた年齢ではないのかなと思った。みんなが30歳、になってしまったら彼らはかっこいい、ではなくなってしまうのかな。こわい、こわい。いかないで。自分と話したことのある家族でも、友達でもないのに、そんな焦りが自分の中に浮かんだ。

若さをカッコいい、というのなら、画面に映っていたもっと昔の映像の方がカッコよかったのかもしれない。でも、その時ふざけながら、笑いながら語る当時の姿が、その時の「今」が一番カッコよく見えた。

 

本当に、あれはいつのことだったんだろう。

薄暗闇の中に座りながら、ふとその幼い日を思い出す。隣に座る女の子の手には、大きなうちわ。「大好き♥」蛍光色で縁取られた文字は、今にも声で聞こえてきそうな気がした。

 

あの時見つけたカッコいい彼らは、どこかにいってしまった。私の焦りとは裏腹に、彼らは年齢なんてお構いなしにカッコいい、を更新し続け、ある日突然、いなくなった。なぜ、どこにいってしまったのかはわからない。わからなくていいとも思う。でも、絶対あったのだ。触れていなくても、会話していなくても。

夢のようなキラキラした何かを、確かに私は見つけた。

 

ダンッ、と低い音がして、周囲が真っ暗になる。それも一瞬のことで、周囲に色とりどりの光が灯る。ピンク、黄色、赤、青、オレンジ———

幕が、開く。

キャー!!!!耳がびくんっとするくらいの嬌声に包まれ、シルエットが映し出される。私は今、何に手を振っているんだろう。憧れ、神様、それとも…生贄?

きっと手を振る限りこの夢は終わらない、終われないんだろう。

あの時見つけたキラキラを、私はきっと今もこれからも、追いかけ続ける。

 

 

運命なのか宿命なのか

真っ白な紙に文字を書きなぐってたらいつの間にかめっちゃ斜めになっていた!みたいな現象にいつもなる。要は、何を見ていても結局速水ヒロに繋げてしまう。

本日の戯言を少し落とさせてほしい。

私は朝井リョウさんが中島健人さんを称した「信じている神が違う」という言葉が大好きなのだけど、今朝羽生結弦さんのインタビューを見て同じ言葉を思い出した。

目指している目標が違う、モチベーションが違う、色んな言い方はできるけれどこの言葉が最もしっくりくる。

ところで神ってなんだろう。(注:私は無宗教かつほどほどに睡眠はとっている、頭が沸騰しているわけではない、たぶん)

そう考えていたら突然頭の中に王位戴冠をする速水ヒロが浮かんだ。

王座への階段を昇るあの時プリズムの女神が見えることはどうも聖や山田さんの経験上はないらしい。皆が見えるわけではないのだ。

それなのに速水ヒロはプリズムの女神を前にしても一切に動じない。この姿もフリーの演技を終えた後、勝利を確信していた速水ヒロと重なるものがある。

「アイ・アム・キング・オブ・プリズム!!!」と宣言するところにどうしようもなく痺れるのですが、I amなんですよね。I getでも、I winでもなく。

つまり速水ヒロはプリズムの煌めきと、プリズムワールドと同化しているんですよ。この宣言は他のプリズムキングにはなかったんじゃないかな。

ここから先は想像も含めますが、聖はその煌めきの美しさゆえに王座に立てた。山田さんはビジュアルとゆるやかなセンスゆえに王座を手にした。仁は…ここでは語り切れないので割愛する。

アイ・アムと言えるある種のトランス感、そして王座への迷いなき確信はあの時の速水ヒロならではのものじゃないか。

プリズムの煌めきを愛するだけでも、努力を惜しまないだけでもなく、プリズムショーに出会っていなければきっとミスターコンに出ていたずらに自己顕示をするわけでもなかった速水ヒロだからこそ、

あの時点でプリズムの女神を見据え、王位戴冠ができたのではないだろうか。速水ヒロとプリズムショーとの出会いは、運命だったと思いたい。

追伸 よく推しへの愛から「お母さんこの子を産んでくれてありがとう!」ってよく言いますけど、速水ヒロさんの場合この言葉だとなんだかうわぁ・・・となるものがあって、「生まれてきてくれてありがとう」

と心でつぶやくようにしている

私はあなたに逢いにいく~オタクにこそ見てほしい映画「今夜、ロマンス劇場で」~

 

 映画「今夜、ロマンス劇場で」を鑑賞してきた。冒頭から涙が止まらず、よく「5分に一度は泣ける」、なんてコピーをどんなお花畑だよ、と笑っていたが本当にあるのだと知った。

この映画はラブストーリーでありながら、それ以上の価値がある。憧れと幻想を抱きエンターテインメントに手を伸ばす多くのものへの慈しみと言える作品だ。

(以下ネタバレを含みます)

 

主人公の牧野健司は、さえない映画会社の助監督。ある日古い映画の中のお姫様、美雪に一目惚れし毎日のように彼女を観ている。この映画が、予告やポスターではまるでローマの休日かのような華やかな作品に見えて、一見して誰もがC級作品と分かるようなミスマッチな冒険活劇なのだ。お姫様が槍を持ち、ハリボテ級の着ぐるみの動物三銃士とともにお城を出て暴れまわる。多くの作品の中から忘れられていくことに疑念を持ちようがない代物だ。作中の滑り具合と時代の流れとともにその映画をみる観客が減り、フィルムに「廃棄」のスタンプが押され倉庫に眠らされる描写がなんとも切ない。自分はこのシーンから涙腺が刺激された。

その忘れられた作品を偶然倉庫から見つけ出し、映写機にかける健司。彼は、彼女を見つけたのだ。

 

健司は作中の美雪を誰もが憧れる自社の社長令嬢、塔子よりも美しいとにやけ、飲みや女遊びにも興味を示さず彼女の映画を街の小さな映画館、「ロマンス座」にて毎晩自分だけのために上映する。それにやれやれと付き合い、お代を取りながらも劇場を明け渡す柄本明演じる館主の優しさもとてもいい。

しかし、その映画は古物収集家の目に留まり売られることが決まってしまう。最後の日と惜しみながら映画を見つめる健司。その時空に雷鳴が轟き、停電かと思った矢先目の前に現れたのは、モノクロの姿の美雪であった。と、ここはおとぎ話のシナリオさながらである。

素晴らしいのは、その先の細かな設定だ。

まず、美雪はあくまで映画のお姫様として最後までたたずむ。当然、彼女を演じる女優、がいるはずなのだがそこには「とうの昔に亡くなった」という事実以外一切言及がされない。人気女優であったのか、すぐに消えてしまったのかさえ分からない。映画の評価具合といい、名を馳せた看板女優ではなかったと思われるが。

彼女は作品のお姫様、として存在し続けるだけではなく、自分の立場もわかっている。物語序盤で美雪は言う。「私は、人に楽しまれるために生み出された存在だ」と。作られた生き物であることを理解しているのだ。これが後の、彼女がこの世界に来た理由にも大きくつながり、私はその設定に完全に心打たれてしまった。

 

最初は戸惑いながらも、ペンキでモノクロの身体に色を塗り、何とか現実世界に馴染ませ健司と生活をする美雪。多くのトラブルを巻き起こしながらも、二人の距離は自然と縮まっていく。

そして健司は、美雪にこれから先もずっと一緒にいて欲しいと告白をする。しかし彼女には彼の気持ちに応えられない理由があった。

美雪は、現実世界に飛び込む代償として「人の温もりに触れると消えてしまう」という秘密を抱えていたのだ。なぜそこまでして次元を越えたのか問いただす健司に美雪は応える。

―自分は人に楽しまれるために生み出された存在だ。昔は自分を観に多くの人が訪れた。それが時とともに減っていき、いつの間にか誰もいなくなってしまった。仕方ないことだと分かっていた。でも、寂しかった。そんなとき、お前が見つけてくれた。それなのに、もうお前に会えなくなると知って、一目逢いに行きたかった。お前に、「見つけてくれてありがとう」と伝えたかった。

と。

このシーンは、思い出すだけで今も涙が出る。

人は勝手に画面の向こうの世界に憧れを投じ、愛を投げかける。時がたてば勝手に忘れ、また新しいものを探し始める。向こうの世界には手が届かない、誰も気づいてはいない、そう思っているから。

でも、もし、彼ら彼女たちが見ていたら?触れられないけど、いやだからこそ「見つけてくれて、ありがとう」と思ってくれていたら?

 

そして結末もまた、秀逸かつ救いに満ち溢れている。

秘密を打ち明けてから、彼女を失わないため、傷つけないために触れないよう気を遣う健司。そんな気遣いに好きだからこそ耐えられなくなり、彼の元を去ろうとする美雪。せめて最後に抱きしめてほしいと懇願する美雪に健司は向き合い、彼女の肩に手を伸ばす。

ここで一度物語は止まる。現代の老いた健司と病室で話をする看護師、天音。

「その先はどうなってしまったのか、先を教えてほしい」と天音が泣きじゃくる。

…この先はぜひ劇場で見てほしい。公開時期が過ぎてから、加筆したい。

私は尊敬するとすぐフルネームで呼びたがる

呟くには長すぎるけど、ブログにするにはやや短い速水ヒロについての話をします。


私、プリリズでなるちゃんに顎クイするヒロさまが、大好きなんです。
速水ヒロのすごいところは、一人に深入りしないのに一人だけのために、存在できること。おばあちゃんにはいつもより大きい声で話しかけるし、女児にはしゃがんで目を合わせ微笑む。なんてったって獣もオンナにするアイドルだからね。速水ヒロが目の前で笑った瞬間にみんなティアラをつけたお姫様になるんですよ。これが個性を重んじながらも、キミだけ、をみながらも相手を残酷なまでに平均化している速水ヒロの魔法だ。こういうことは意識的にだけではできない、才能だと思う。
でも、なるちゃんに顎クイしたときのヒロさまは相手をキミ、としてみていない。コウジを追っている子がいるのが気にくわなくて実に機械的に墜としにかかっている。だからいつもより色気多目に出してる。動作が素早い。こういう手法が取れるのは彼が仁のもとにいたからだなと思う。心のこもってない動作なのに端から端まで美しい。そこは変わらない、変えられない。絶対アイドルの俺、に見つめられたらイチコロでしょう?って。動作は紳士だけどその心はめっちゃ乱暴だ。そしてこれはコウジへの意識以外の何物でもないんですよね。コウジが絡んでなければ森のくまさんにだってキミだけ、のためのファンサをするんですよ速水ヒロは。もちろんそこまでして相手を墜とすのは俺が一番、というprideも共存はしているはずで、そこも含めて好きなんですけど。

私はあの世界にいたら、あれほどの速水ヒロを揺さぶるこいつはなんなんだ?という視点で神浜コウジを見る。だってNYでふらついてるゴシップ絶対出てるし過去の確執も失踪の原因がコウジを失ったショックなことも噂になってないはずないじゃん。だから正確には私は神浜コウジのことを見ちゃいない。でもその探求心故に胡麻油をかけるクッキングコーナー毎日見てるしWOO WAR WORLDのサントラ借りるし結果不本意なくらいに神浜コウジに詳しいと思う。