運命なのか宿命なのか
真っ白な紙に文字を書きなぐってたらいつの間にかめっちゃ斜めになっていた!みたいな現象にいつもなる。要は、何を見ていても結局速水ヒロに繋げてしまう。
本日の戯言を少し落とさせてほしい。
私は朝井リョウさんが中島健人さんを称した「信じている神が違う」という言葉が大好きなのだけど、今朝羽生結弦さんのインタビューを見て同じ言葉を思い出した。
目指している目標が違う、モチベーションが違う、色んな言い方はできるけれどこの言葉が最もしっくりくる。
ところで神ってなんだろう。(注:私は無宗教かつほどほどに睡眠はとっている、頭が沸騰しているわけではない、たぶん)
そう考えていたら突然頭の中に王位戴冠をする速水ヒロが浮かんだ。
王座への階段を昇るあの時プリズムの女神が見えることはどうも聖や山田さんの経験上はないらしい。皆が見えるわけではないのだ。
それなのに速水ヒロはプリズムの女神を前にしても一切に動じない。この姿もフリーの演技を終えた後、勝利を確信していた速水ヒロと重なるものがある。
「アイ・アム・キング・オブ・プリズム!!!」と宣言するところにどうしようもなく痺れるのですが、I amなんですよね。I getでも、I winでもなく。
つまり速水ヒロはプリズムの煌めきと、プリズムワールドと同化しているんですよ。この宣言は他のプリズムキングにはなかったんじゃないかな。
ここから先は想像も含めますが、聖はその煌めきの美しさゆえに王座に立てた。山田さんはビジュアルとゆるやかなセンスゆえに王座を手にした。仁は…ここでは語り切れないので割愛する。
アイ・アムと言えるある種のトランス感、そして王座への迷いなき確信はあの時の速水ヒロならではのものじゃないか。
プリズムの煌めきを愛するだけでも、努力を惜しまないだけでもなく、プリズムショーに出会っていなければきっとミスターコンに出ていたずらに自己顕示をするわけでもなかった速水ヒロだからこそ、
あの時点でプリズムの女神を見据え、王位戴冠ができたのではないだろうか。速水ヒロとプリズムショーとの出会いは、運命だったと思いたい。
追伸 よく推しへの愛から「お母さんこの子を産んでくれてありがとう!」ってよく言いますけど、速水ヒロさんの場合この言葉だとなんだかうわぁ・・・となるものがあって、「生まれてきてくれてありがとう」
と心でつぶやくようにしている