根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

櫻井翔さんありがとう

※二年前の下書き供養です。

 

櫻井翔さんが本日お誕生日を迎えました。

私は櫻井くんに、ありがとうを伝えたい。アイドルになって、続けてくれて、ありがとうって。以下は、私の勝手な推測も含みますこと御了承ください。

 

自分が社会人になってから、アイドルにならなかった櫻井翔、がリアルにイメージできるようになりました。有名大に付属からストレートで卒業し、家の育ちも良いなんて程度のもんじゃない。なんでもそつなくこなす高給リーマン。そのブランディングと器用さから、将来も嘱望されている。付き合いが上手で、感じもいい。一般の社会では俗に言う勝ち組、ハイカーストな社会人に、アイドルにならなかった櫻井翔、はきっとなっていたでしょう。

櫻井くんは、たぶん10代後半くらいから、そんなビジョンを描けていた。育ちのいい彼だもの、周囲にも見本がたくさんいたでしょう。勘のいい人だから、自分の人生がどんな波に乗っかれそうか、すぐに気付いていたと思います。

でも彼は、自分からジャニーズに応募した。それは、いわゆる「育ちのいい」人間として扱われてきた彼なりの反骨精神だったのではないでしょうか。そして、まさか自分がアイドルとして生きていくなんて思いもしなかった。先のことなど深く、考えてもいなかったのだろうと思います。

それでも、彼はジャニーさんに見つかった。ジャニーさんはきっと、櫻井くんの経歴がビジネスとして役立つことと、当時の彼のとんがった視線におもしろさを感じたこと、両方の興味で櫻井翔をジャニーズJr.に迎え入れたのでしょう。

そんな櫻井くんが、「嵐」になった時、「やめたいと思ったけど、やめられると思ってはいなかった」後に当時の感情をそう言っていたことは至極全うだと思います。思わぬタイミングで運命は走り出してしまった。でも、レールの上にいた自分にも責任はある。ちゃんとそのことに気づく人だから。

スーパーアイドルになった今の嵐から遡って、嵐をやめたかった櫻井翔をネタにすることは簡単です。でも結成当時、いや2004年までの嵐を見て、彼らがスーパーアイドルになるなんて誰が、予想したことでしょう。

だから2005年にNEWS ZEROを始めた時も、当初は懐疑的な見方をされていたのをちゃんと覚えています。慶應ボーイとジャニーズの看板を盾に、鳴り物入りで登場した若造、最初の櫻井キャスターはそんな評価でした。

でも櫻井くんはその視点を理解したうえで、ちゃんとやり遂げた。コンサートの日程を工面し、徹底的に勉強し、月曜日の1時間をキャスターとして全うする。

私は櫻井くんのそんな内に秘めた頑固さが、大好きです。

 

「大卒の アイドルが タイトルを 奪い取る マイク持ち ペン持ち 最速で 奪い取る」

Hip Pop Boogieの一節は、あまりにダイレクトで批判も有るかもしれません。

でもこれには、彼の自己顕示ではなく、自己暗示が強くこもっているような気がします。

大卒でアイドルでいる意味、マイクもペンも持つ意味。それを作るんだ、そんな決意で歩んだ彼の道が、後輩に確かに影響を与えました。

今ではジャニーズが司会業を、キャスターを務めることは全く驚かれない事象になっています。でもそれは櫻井くんが作ってくれた土壌があるから。

アイドルという道を選んでくれて、ありがとう。私たちの前に立ち続けてくれて、ありがとう。これからも誰もにその賢さで安心を与えながら、本当は熱く尖った魂を秘めている、そんな櫻井翔さんでいてください。