根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

ジャニオタがサンリオピューロランドに行ってきた話

おはようございます。突然ですが先日、ピューロランドデビューして来ました!!

 

すでに各所で言われていることですが、オタクにとってぴゅーろ、めっちゃ楽しいです!貴重なご縁で誘っていただいたのですが、「最近はやりのぴゅーろってどんな感じなの?」「オタともに誘われたけど多摩って遠くない?」そんな気持ちの方へ少しでも興味を持ってもらえたらうれしいです。ではでははじまりー。

 ~素敵ポイント~

①ショーがかわいい&深い!!!

可愛い歌舞伎、かわいいかわいい♥ミラクルパレードかわいいかわいい♥

ひたっすらでてくる「かわいい」、ぴゅーろはとっても頭のいい楽園です。

外国人観光客もしっかりとりこんでるし、日本人もいまいる環境のありがたみにしっかり気づく!

そしてショーがね、ちゃんとしてるんですよ。私が今回見たのはMEMORY BOYS 想い出を売る店、とKAWAII KABUKIどちらも40分前後で、中身もぎーっしり。ジャニオタ、特にJaponism,SHOCKを観た方はKAWAII KABUKI見た方がいいです絶対。歌舞伎の口上、バックヤードとステージ上の演劇とのシンクロ、感じたことのあるワクワク感が味わえます。

ストーリーがどれもしっかりしていて、起承転結がついていながら単純な勧善懲悪ではない。悪者、とされるサイドへの理解や許しがちゃーんと存在するんですね。それでいて、子供にも分かりやすいテンポのよさ。ここのバランスちゃんと取れている所が素敵です。お話を深くすることはできるけど、ともすれば大人のひとりよがりになってしまうじゃないですか。それが全然ない。深くも、純粋にも楽しめるし、みんな仲良く、多様性を認める優しさのぎっしりつまった舞台でした。

クロバットもすごいんです!無料で見ることが申し訳なくなってしまうくらい、(歌舞伎とかほんとにおひねり投げたくなる)バク転、側転、Japonismで相葉君がチャレンジしていたティシュまで見られます。ほんっとうにすごい迫力なので、オタクとしてだけではなく演劇が好きな方、パフォーマンスを楽しみたい方も絶対に満足できます。クロバット、最高にかっこよい。吹き抜け仕様だから床からも上の階からも楽しめる。


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②ネームプレートを作ろう!

数々のブログで紹介されているのを観ましたが、実際にやるとほんとに楽しい!オタクの醍醐味でですね。

誰もが幼少期に作ったことのあるお道具袋につけるキーホルダー。あれを推しのお名前で作れるのです。

同行のティアラ↑と「いわち♥」「しょお」で作成。

めるへーん。クラウンとか蓄光パーツとかオタクは狙われたパーツが盛りだくさんです。カウンターでのりづけするお姉さんになりたい。


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③キャンでん太鼓をふろう!

ジャニオタにはおなじみのきゃぁ~~~~んでぃ♪ができます!8月31日までですので是非!これね、なんといっこ500円、お土産にも最適。

しかも1枚100円で裏に貼る用のステッカーも売っています。推しになぞらえたキャラクターを買うもよし、推しを切り取って貼るもよし(ただし推しの顔をめっちゃ叩くことになります)

私はひとめぼれしたポチャっこを買いました。後からよく見るとちょっと岸くんに似ている。

音はほんとにでんでんで~んって言います。けっこう低くて癖になる音。

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振り付け講座があるのですがこれが結構難しい。事前に場所取りをしてキティさんのレクチャー動画を見ながら臨むことをお勧めします。

 

~まとめ~

ぴゅーろの何が楽しいかって、それぞれが自由にふるまって許される空間で、みんながもれなくハッピーだという事です。ごっこ遊びを思いきり楽しめる。しかもコスパがいい!ライブも接触も舞台もオタ会も入場料3,000円で始められるのさいっこうにお得。

イベントが新しくなったらまた行きたい!お名前キーホルダーもまた作りたい!

 

お盆の予定がない方、ピューロランドで心癒されるのはいかがでしょうか?

アクスタやちょっこりさん、MRで遊んでも許されるとこも素敵↓ネ●ミの楽園グッズ以外は大丈夫らしい


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僕と一緒に、世界を騙さないか?

こんばんは。

私は以前、アイドルとファンの関係性を「共犯」だとツイートしました。その後オタ友と、何か違う表現はあるのか、もっと適当な考え方も存在するのではないか、と話ししばらくたつのですが、私はやっぱり「共犯」だと思ってしまいます。

なぜなら、私の望む関係性には必ず大衆、が存在するからです。

好きな人のことは、皆に好きになってほしい、みんなには好きにならないでほしい、だれかに嫌われていてほしい、私だけのものでいてほしい。どれも少し違って、私は私の目指す星には、みんなから関心を持たれていてほしい。好きでも嫌いでも、知ってる、だけでもいいんです。人の頭に残っていてほしい。もうこれは、なぜって説明のできない感情です。私は小さいころからお祭りが好きで、オリンピックが好きで、花火大会が好きで。でも、体育祭や文化祭はそんなに好きじゃなくって。それはなぜかと考えると、前者はみんなが夢中になってみる一つの対象があって、後者はあくまで、みんなで作り上げる空間があるだけだからなんでですよね。大人になるにつれ、後者のみんなで作り上げる空間の重要性を知り、遠ざけてきたことへの反省も生まれました。だって自分が通っているコンサートや舞台も、その裏では空間を作り上げる集団が存在して、当然ながら「作る」ことへ価値を見出しているから。作ること、の延長線上に何かの中心点にできるような上質な完成品が生まれることは、今は理解をしています。

話がそれました。

私はエンターテインメント、とりわけ男性アイドルが好きなのですが、その理由はなにも美しいビジュアルや、歌、踊りだけではありません。長くその文化に親しんで、テイストそのものを好む気持ちはもちろんあります。ただそれだけではなく、アイドルは見たことのない景色を見せてくれる存在だから、私は見続けてしまうのだと思います。

だって地球は黄色くないんだもん。(二次元のキンプリの話です

どういうことかといいますと、僕はキミを愛している、も永遠に一緒だよ、も本当にすることって実際は難しいですよね。でも、のびやかな歌声で人を感動させる、アクロバットな踊りで驚嘆させる、そういう「実際にあるもの」だけではなくて、あたかも目の前に存在するような気持ちにさせる煌めき、を生むのがアイドルなんだと思います。これは、スポーツでもフィギュアスケートのパフォーマンスだったり、お芝居でも、時の人、ともてはやされるような演者さんだと、同じ部分を持ち合わせているのではないでしょうか。

本当は青い地球を、黄色いですねっていうことは、受け手と送り手が一緒に嘘をつくことです。だから信じられるだけの嘘をついてくださいと、いつも思ってしまいます。

アイドルが提示する嘘を信じることは、私は嘘を嘘だと分かったうえで、自分の、彼らの、そして大衆の世界を変えるために信じることにするのだから、やっぱり犯罪ではないのだけど、「その話、乗った!」と思うような、血判状を作成するような心持が生まれてくる。

そうしてついた嘘が、自家中毒のように自分と世界を取り巻いたとしても、その先に美しい世界があるのなら、あるように見えるのなら、そこはきっと楽園だと思いたい。

なんだっていい

は昔、アイドルが好きな自分を恥ずかしがっていました。すきですきで仕方ないけれど、どこか照れ臭いような、人に言うのは憚られるような、それでいて同胞を見つけたくてそわそわしていて、今思い返すと格好悪かった。恥ずかしいことを恥ずかしそうにやるのがどんなに恥ずかしいか、少年ハリウッドの1話でも言っていましたね。

最近は、あまりそういったことを考えなくなった。むしろ、好きなアイドルのグッズも、映像も、見せびらかすとまでは言わないけど自然と人の目にはいるように振る舞うようになった。こんな素敵な人がいるんだよ、私はこんな世界に夢中なんだよ、それを広く伝えたいと思うようになった。
代わりに、グッズを持っているときは席を譲ったり、背筋伸ばしてたったりしてるんです。バカみたいかもしれないけど、好きな人に誇れる自分でいたくて。
私なんでこんなにアイドルが好きなんだろう。伸ばして伸ばして、その手は届くことはないし、手が届いてほしいなんて思ってないけど、でも手を伸ばし続けたいし、手が届くかもしれないって可能性を弄び続けたい。
とんだわがままなのに、それを楽しむように一緒に作り上げてくれる人たちがいるから、やっぱりありがとうって、でもごめんねっておもい続ける。ごめんねなんて言いたくないのに、きっと言って欲しくもないだろうに。
そういうすべてをはねのけて笑って立ち続けられる人は、素敵で大好きで、愛し続けることでしか何も還せないけど、きっとそれでいいって、それがいいって、勝手に今日も思って見ている。

アイドルにできること

自分がアイドルにできること。なんて言い方もおこがましいけれど、見上げるものの一人として、せめて出来ることを考えた。それは覚えておくこと。おもいっきり影響を受けること。
聞いた台詞も、テレビでロケにいったお店も、オタ活がもとで知り合った人も。すべてが私の人生のページを彩っていく。今の仕事に、今いる場所に、彼らに出会ってなくても収束してたどり着いてたかもしれないよと言われたらそれまでだけど、そんなのわかんないから全部キミのおかげってことにしたい。ファンに看板がつくとしたら、あの子頑張ってるね、何で頑張れてるんだろうね、あんな素敵な趣味があるからだって思われたい。自己満足でもそれでいい。
だから私は今日も雑食でいるし、いろんなものに左右されて笑って泣いて、動くことで見たもの全部にありがとうって伝えて、生きていく。

ぜんハリ解進に寄せて

ZEN THE HOLLYWOOD80’s というアイドルがいました。いや、正確には今もいます。彼ら自身と、少しでも触れ合った人すべての心に。

アイドルが好きです。○○さんを世界で一番好きなのは私、と言えるほど律儀ではないけれど、アイドルという光が世界で一番好きな人間の一人です、とは自己紹介できるくらいには、大好きです。

 

初めて、男性アイドルとのお別れのライブに行きました。前述通りアイドルは好きですが、女性アイドルにすごく入り込んだことはなかった。小学生の頃にクラスメイトの影響もあってモーニング娘。は好きだったけれど、ライブに行くくらいに追いかけていたわけではなかった。きっと女性アイドルは、いつか卒業してしまうことを知ったからだと思います。

ペットを飼うこともできなかった。死んでしまってお別れになるのが怖いから。

祭りの終りや、日曜日の夕方も苦手。何かが始まると別れがいつか来てしまう。それに耐えられる強さを持っていない。

だから、今日はぜんハリが舞台に立つ最後の日で、そのお別れにちゃんと向き合わなくてはと思いながら、怖くて仕方がなかった。

でも、とてもとてもいいライブでした。本当に素敵な、空間でした。思いをきちんと綴られているのかはわからないけど、きちんと留めないと、また何かに心ときめかせて、ドキドキしたりワクワクしたり、するのが切なくてできなくなってしまいそうだから、今日のこの気持ちをここに残します。

ぜんハリとの出会いは、今年のホワイトデーでした。本当に今更になってしまって情けないのですが、当時何度も書きかけて、アップできなかった感想下書きをここに残します。

——―—

貴方はコンサートに行った時にキャーって言えますか?キャー、黄色い声。私はコンサートで上がるあの声を聞くことが大好きです。今まさに、喜んでる、ときめいてる人がいることが伝わるから。
でも、私は上手くキャーって言えません。
コンサートにいくときはいつも、ドキドキしてるし興奮してるし、思いっきり楽しいのに。私はアイドルに対して理屈を何重にもこねくり回すけど、でも俯瞰してドライに見てる訳じゃない。親心でほっこりしたいだけって訳でもない。
その場の人間として、好きでここに来た応援する人として盛り上がりたい。そう思うのに、いつもうまく発言ができない。キャーって言うのが、怖いのかもしれない。
そんな私が行った現場のお話をします。
 
ぜんハリのコンサートへ行ってきました
先日紹介した少年ハリウッド。私はこの作品に出会って、よりアイドルが好きになりました。アイドルが好きな自分に気づきました。だから一番好きな登場人物はシャチョウです。32歳になってもアイドルへの夢を捨てきれず、間違ったチャンスにしがみついて奇跡を描き続ける人。
そんな少年ハリウッドに公式ライバル、ZEN THE HOLLYWOOD80's(通称ぜんハリ)がいると教えていただいたのは3月のこと。ホワイトデーのライブで、私は初めてぜんハリを見ました。お友だちにエンブレムライトを貸していただき、初めての会場にドキドキしながらもひたすらに光をふった。大好きな少ハリの曲がたくさん聞けて、ステージの上のぜんハリはとっても輝いていて。初めての握手もしました。今まで握手なんてしたことがなかったから、とてもドキドキして。初めてきました、という私のはがされる背中へありがとう!とかけてくれた声を、これから握手会というものを見るたび私は何度も思い出す。その後、二回目の参加をしました。お誘い下さったお友だちと、今度はさらにもう一人、友達をつれて。
このときのライブが、最前列でした。最前列のライブなんて初めてで、光をこんな近くで浴びてしまっていいのか、始まる前から自信がなかった。開演前、お客さんが通路にしているくらいの小さな段差のステージ。数百人規模の、パイプ椅子の席。でもね、始まった瞬間、そこは神さましか立てない場所になった。
ZEN THE HOLLYWOOD80'sは、今年7/16に解進の決まっているグループです。キラキラに、1度ピリオドが打たれることが決まってる。
4人はこのステージで、力です。それは、二回しか見てなくても伝わりました。ステージを所せましと使って、踊って、踊りきって。衣装も素敵でした。セーラー服をそれぞれのメンバー風にアレンジして、ダメージやレースが入ってる。
長年の友人に、終演後具合が悪い?と心配されました。一体どんな顔をしていたのか、私もわからないけど、上手に表情を作れていなかったことだけは、覚えています。あんまりに眩しくて、終わってしまうのが苦しくて、そこにいる自分が応援してるよってことを伝えたくて、でももし目があってありがとうって言われたらこわいって。いやだでも申し訳ないでもなくて、ただ怖くて。
認知とか、私はよくわからない。でも、もし「こないだ初めてきてくれた方ですよね!」って言われたりどうしようって、そんなことあるはずないのに怖かった。
でも、先月初めて来た人が、とても素敵だと思って友達つれてもう一度来ました、それくらいに良かったですってことは伝えたくて。
よかったってこと伝えなきゃ!だから振らなきゃ!ってエンブレムライトを振っては、眩しく踊るZぜんハリに胸が詰まって腕を下ろす。でもそれじゃだめだ!と思ってまた挙げる。その繰り返しでした。
少年ハリウッドの世界観を通している彼らは、台ひとつ隔てているだけなのに、3秒以上目が合わない。途中で見つめるタイムがあるのだけど、目があった気がする、なのです。
何メートル離れていても恋人になれるし、30センチしか距離がなくても手の届かない人でいられる。そんな世界だったし、だから私は、大好きです。
—―——
今日のコンサートも、胸が詰まってキャーって言えないかなと思っていました。でも、今日はキャーも、掛け声も、全部言いました。だって、彼らがアイドルとして舞台に立つのは今日が最後だから。
アイドルってね、とても不思議な生き物だと思います。人の、想像力をかき立てる生き物。
目の前にいるだけでキャーって言われる。何かするたびに見ている人の目が輝く。人の前に立って何かを披露する人はみんなそうさせる要素を持っているけれど、やっぱりアイドルは特別です。何かができる、だけではなくて、なにかをしてくれそう、みせてくれそう。そんな期待感がキャーという歓声だったり、ペンライトの灯になる。それを浴びられるのは彼らにとって今日が最後なんだ。そう思ったら、声を出さずにはいられなくなった。胸が詰まってしまうのはむしろこちらの勝手で、言葉にしなきゃ、音にしなきゃ伝わらない。そう思って、一生懸命に歌ったり、掛け声をしたり、アンコールをしたりしました。それが正しいキャーだったのかは、今でもわからないけれど。
 
私が大好きな嵐の曲、Song for youに、「繋いでいこうよ 最高のFinale」という歌詞があります。
今日の公演中、その言葉がふっと思い浮かびました。
歌って踊って奇跡を見せられることはそれだけで尋常ではないことでそして、有限です。
有限であるのに、そう思わせないことまでもがアイドルの役目には含まれていて、だからこそしんどくなるけど見ずにはいられない。
今日の景色は、間違いなく最高のFinaleでした。
 
一回のアンコールの後、ぜんハリの映像が流れます。まるでライブが続いているような、いつもの衣装の4人。彼らは、いつまでもここでライブをしているから泣かないで、と言ってくれる。
 
アイドルはピーターパンみたいだね、という話をつい最近、友人としました。これはあくまで、アイドルが好きな私が投影してみている景色にすぎませんが。
ピーターパンは、いつまでも楽園、ネバーランドにたたずみ続けます。けれども物語の結末では、ピーターパンとともにネバーランドにいたロストボーイ(迷子の子供)は、人間の世界に引き取られ、ネバーランドで空を飛びまわっていたことを忘れ、普通の人間になっていく。ネバーランドを信じていた子供たちも、いずれ大人になり、そんな夢の世界を信じる気持ちも、あこがれていたことも、忘れてしまう。
アイドルが、終わりを告げてしまうことは、ロストボーイになってしまうことなのかと思いました。いつか「僕、アイドルだったんですよ」と冗談のように笑う、普通の人、になってしまうことなのかと。そして彼らに目を輝かせていた人もいつか彼らを忘れて、物語は終わってしまうのかと。そんなの寂しい、おいていかないで。自分は何者でもないけれど、アイドルの光がたまらなく愛おしいから、今日も演目の終盤、そんな胸に詰まる感情を抱えていました。
だけど、最後の映像を見て、彼らはずっと、待っていてくれる人がいる限り、ネバーランドにいてくれる、いることにしてくれるんだと思えた。だから解散ではなく、解進。
 
4人のこれからについては私はわかりませんが、いつか街ですれ違っても、気づかないのが素敵だなって個人的には思います。そして2018年7月16日、平成最後の年の海の日、酷暑の日本でも間違いなく一番暑かったのは、あの代アニステーションライブの空間だったことを、私は忘れません。ZEN THE HOLLYWOOD80’sのみなさん、並びに彼らに出会わせてくれた、出会った中でお話しさせていただいたすべての皆さん、夢とキラキラをありがとうございました。
 
 
 
 
 
 

クリスマスの思い出

子供の頃も今も、クリスマスが好きだ。
恋人がいないからクリスマスは憂鬱でもなければ、自虐に走って女子会をすれば楽しめる!でもなく、ただクリスマスの空気が好きだ。
 
こどもの頃は、サンタクロースが24日にやって来る。夜、眠るときの心のときめきが毎年の楽しみだった。
一晩明けたら欲しかったものがもらえる、それだけではなくてとびっきりの幸せがやってくるような、そんなワクワクがあった。
小学校に入ると、サンタはいないんだよ、と誇らしげに話す子がいた。
背が高くて気の強い彼女は「だってレシートがあったもん、ママがトイザらスで買ってきたんだよ!」
まるで探偵になったかのように、強い口調で豪語し、そうだそうだ!と集まる子達を従えて満足そうだった。
 
私が、サンタがほんとにいると思っていたのかは正直わからない。
毎年枕元にプレゼントがあるのが楽しみだったけど、ある年人生ゲームを頼んだら、当然枕には置けないサイズで、
部屋の角っこのカーテンの中に包装紙にきれいに包んだ箱がおいてあるのをみて、なぜかちょっと笑ったことを思い出す。
それでも母は、サンタがココアを飲んで帰っていった話をしてくれたし、特に仲の良かった母方の祖父は、おじいちゃんはサンタの友達だから、とプレゼントを別にくれて、祖母に後で甘やかすなと叱られていたりした。祖父が叱られる光景も見ていたけれど、私は祖父からサンタとご飯を食べた話を聞くのが好きだった。
 
それでも一度だけ、サンタはいないんでしょ?と親に言ったことがある。クラスの子たちに影響されて、いないって見破るのがかっこいいことに思えて。
もしかしたら、そんなことないよって言ってほしかったのかもしれない。
しかし母は、「いないと思ったら、サンタはもう来ないんだよ」とさらりと言った。
見破った達成感なんてちっともなかった。
いないと思ったらプレゼントがもらえなくなってしまうからではなく、サンタが来ないという響きが冷たく、怖く思えた。
それからサンタがいない、と言うのはやめた。
 
少し年を重ねたある時、今年はサンタに何を頼むの?と聞かれなかった。
毎年11月の下旬には、サンタに言っておくから、と聞いてくれるのに。
たまに、サンタの国にはなかった、と違うものの発注を、推奨されることもあったのに。
何にも聞かれないことはさみしくて、不安だった。けれども私は、自分からサンタには今年はこれを頼みたいの、と言わなかった。
そもそもその年には、いわゆる「おもちゃ」で私の欲しいものも特になかった気がする。
12月24日の夜。いつもなら楽しくてワクワクして仕方ないはずなのに、その年は何だか寝てしまうのがこわかった。
それでも起きたら、何かが待ってるんじゃないか。そんな気持ちを一生懸命に抱えて、目をとじた。
 
朝起きると、枕元には何もなかった。
 
そりゃそうだよね、何も頼んでないのだから。そう思いながらもどこかひんやりした気分で布団からでて、起きる準備をしていると母がやってきた。
「今年はママサンタからプレゼントです♪」
それは当時の私には少しお姉さんのブランドの、長財布だった。
ありがとうと少し笑って、私はその財布を受け取った。かなり大事にして、中学を卒業する少し前まで、使っていた気がする。
私の信じた小さな嘘が、おしまいを告げた時だった。
 
今でもサンタはいると思っている。指輪をくれる恋人でも、おもちゃ箱を開けてくれる白ひげのおじいさんでもないけど、
世界にひとつのキラキラを振りまいて、毎日をクリスマスイブにしてくれる魔法使いを、私は信じてる。

ジャニオタが少年ハリウッドに出会った話

アイドルが好きだ。光の中で精一杯に手足を伸ばし、僕はここにいるよ、キミを幸せにするよと誓約する人が好きだ。
私の好きな人は、よく「幸せにする」と言う。抱きしめられるわけでも、ご飯を御馳走できるわけでもないのに。
光を見せることで、幸せにする、と迷いなく誓う。その言葉に導かれて、私はここまで生きてこれた。
 
最近少年ハリウッドというアニメ作品に出会った。アイドルが好きな人ならば見るべき、という評判を聞いてdアニメを登録し、早速見始めた。
私はアニメを見る習慣がない。嫌いなわけではなく、単純に習慣がなかった。テレビドラマが好きで、アイドルが好きで、アニメまで追う時間がなかった。
でも、少年ハリウッドは完走した。
途中でしんどくなって立ち止まることがたくさんあったけど、最後までしっかり目を見開いて、見た。
 
少年ハリウッドとは、アイドルがアイドルになることへ向き合うお話だ。
 
舞台の上に立つ人は、普通じゃないことを普通にやってくれる。
 
つい先日、アイドルのDVDを上映している飲食店で、一人で昼食をとっていたら隣の女性に話しかけられた。
長い髪で、ネイルを綺麗に施した、40代くらいの明るい方だった。四国から、コンサートを観に来たという。
彼女は昔、コンサートの最前列で、好きな子が目を合わせ微笑んでくれた話を教えてくれた。
いかに嬉しかったかを、まるで昨日のことのように話しながら、彼女は言った。
「日常生活だったら、考えられないことじゃない。親よりも年上の女性に、恋人みたいに微笑みかけるなんて。」
初対面の私になぜそんな話をしてきたのかはわからないが、その通りだ、と思った。
例え最前列であっても、舞台と客席、という仕切りがなければ成立しないやりとり。それを、人がやっている。
友達が迎えに来て、荷物をいそいそと片づけ会場へ向かう彼女が、今日も幸せでありますように。私は背中を見送りながらそう祈った
 
少年ハリウッドではその、舞台の上に上がることで人が何かを纏っていく、そうして誰かの憧れになるという過程と、その過程と向き合う少年たちの心情が実に丁寧に描かれている。
 
ぜひ多くの人に見てほしいため、エピソードのネタバレも含んで紹介するが、少しでも興味を持ってくれた方には私の不確かな文章ではなく、ぜひ本編で確認をしてほしい。今ならdアニメストアで配信中だ。
 
第一話のテーマから紹介したい。
「恥ずかしいことを恥ずかしそうにやることほど、恥ずかしいことはない。」
アイドルグループ、少年ハリウッドには自己紹介がある。
「キミの宇宙は僕の宇宙、つまり僕はキミに夢中!」
「約束なんて、守れない。だって僕が守るのは、キミだから!」
一つ目はグループの語り手的存在の風見カケル、二番目はアニメ本編ではなく小説版に出てくる初代少年ハリウッドのメンバー、大咲コウさんのセリフ。
少年ハリウッドは、小説版の初代少年ハリウッドと、アニメ版の彼らの解散15年後に再始動する新生少年ハリウッドの2つのお話がある。
どうしてもアニメを見る習慣のない人には、まず小説版から手に取ってほしい。とても読みやすく、それでいてハッとさせられる言葉に満ちた作品だ。
私はこの二つの論理飛躍しているところが、アイドルらしくて大好きだ。
一つ目のカケル君のは、宇宙という突然の壮大な言葉にまず驚かせられる。そして、キミの世界に僕がいるなら僕はキミに夢中だと、突然に迫られる。
本当なら、「つまり」という接続詞は通らないはずだ。
二つ目のコウさんのセリフも同じだ。キミを守ることと約束を守ることは両立しうるはずで、約束を守らないことがキミを守ることで帳消しにはされない。
とんだ無茶を言っているのだけど、言い切ってしまえば、本当になる。それが、アイドルの力だ。
私は、アイドルが言ういわゆるこうしたセリフは、「化かす」要素があるのが面白いと思う。だって全員と約束なんて守れない。でも守った気に、させることはできる。
そんな魔法を使えるようになるには人間から魔法使いに変身しなくてはいけない。だから、恥ずかしがっている場合ではない。
こうした自己紹介を、当然最初はうまくできない少年たちが、少しずつ魅せることを身に付け、恥じらいを捨てていく過程を目の当たりにすることから、この話は始まる。
 
他にもエピソードの一つに、彼らがオーディションを受けるシーンがある
オーディション合格の条件は、「舞台に上がることができるかどうか」。
少年ハリウッドとは作品名だけではなく、劇中に登場するアイドルグループの名前でもある。彼らは原宿にある劇場、「ハリウッド東京」で毎日のようにライブを行っている。。
これは私の想像だが、アニメを見る限りハリウッド東京の舞台は、決してとても大きいというわけではない。キャパシティとしては、シアタークリエくらいではなかろうか。
舞台と、観客席の階段もとても高いわけではない。階段を数段上がれば舞台に上がれる。
しかし合格の条件は、その舞台に上がれるかどうかなのだ。
(これだけ語っておいて大変恐縮だが、オーディションのエピソードは、アニメのDVD特典のドラマCDだ。
その入手困難性はひとまず置いて、ぜひともこの作品の世界観を伝えたい。)
 
のちにアイドルグループ、「少年ハリウッドになるメンバーたちは実に様々な対応をする。
何も衒わずに舞台に上れてしまう強さのある子、神聖な場所と直感で感じ取り、靴を脱いで上がる子、その神聖さに上がることを拒む子。
5人5様の対応を、事務所の社長(劇中ではシャチョウ、の表記かつ発音)は見つけ、アイドルへ育て上げる。
 
前半は、こうした彼ら自身が普通の人間からアイドルに変わっていく過程、自我や覚悟の形成についての物語だ。
ジャニオタなら、少年倶楽部を見て、突然顔つきが変わっていく子にハッとする瞬間はないだろうか?今でいうならば、Hi Hi B少年辺りの彼らに。
その時に彼らの心に何が起こっているのか、どんな気持ちが形成されていくのか。人は見られることで魅力的になる、とはよく言うが、それだけではない心情面を、少年ハリウッドを見る中で推し量れていく気がする。
 
また、アイドルが求められるもの、についてシャチョウはこんなことを話す。(原文ママではなくニュアンスである)
「アイドルはいろんなものを求められる。それは矛盾だらけで、手の届かない存在であってほしい、恋人になってほしい、家族のようであってほしい、もっと近くにいて欲しい、もっと遠くに行ってほしい。そのすべてに応える方法はただ一つ。全部出すってことなんですよ。」
きっとこの正解は、自分の信じたものを出し切るってことなんだろう。家でぼさっとした髪のままの自分を見せてしまう、という意味の全部見せる、ではなく、自分が本当に思うものをみせること。
だからアイドルの作る景色に正解はない。自分の本当に思うもの、は当然人によって違うのだから。
 
そして、少年ハリウッドは、綺麗なばかりの世界を描くわけではない。切なくなったり苦しくなるところもたくさんあるけれど、ちゃんと芸能界らしい阿漕さがある。
そこにリアリティがあって、私はとても好きだ。
例えば、先ほどのオーディションの話。
主人公の風見カケルは、ごく普通の高校生。(ただし顔は恐らくハチャメチャに美しい)
アルバイト先のスムージー店で、シャチョウに突然スカウトされる
自分が芸能界に行くなど思いもしておらず、戸惑う彼はあらゆる手で誘おうとするシャチョウとマネージャーの勅使河原(テッシー)へ丁重に誘いを断る。
諦めたように振舞いつつ、最後にシャチョウは、彼が自分の意志でもう一度劇場に来たら、決して手放してはいけないとテッシーへ伝える。
そして翌日、カケルは劇場へ自ら足を向ける。
喜びのあまり興奮が隠せないテッシー。そしてシャチョウに言われた通り彼を離さず、アイドルの世界に連れていく。
しかし、彼が戻ってきたのはやっぱりアイドルになりたかった、からでは決してない。
 
配達のジュース代を貰えてなかったからなんですよ!!!!
 
店頭でスカウトを試みてもうまくいかなかったシャチョウは、大量の注文を彼に劇場まで届けさせる。
届けたところで、キミの夢は何か、と問いかけ、カケルは真剣にその答えに迷ってしまう。
「先生、親、なんでみんな、夢は何かって聞いてくるんでしょう。そのうえ知らないあなたにまで、どうして夢を聞かれなきゃいけないんですか。」と。
彼のいいところは、このようにわからないことをわからない、と言えることだ。彼は変な格好のつけ方をしない、自分から、ぐいぐい前に出るタイプではない。しかし。
その空っぽさが、後に少年ハリウッドを強くしていく
ここでのシャチョウの返答もよい。
「それはきっと、あなたに夢をみたいからなんじゃないですか」
そうしてそんな深ーいやり取りをするうちに、カケルくんはお金をもらうのを忘れてしまう。だから翌日、慌ててジュース代を回収にもどってきた、それだけ。
 
確実にシャチョウのこのやりとりは、彼にもう一度劇場に来させるための確信犯だ。
けれども、自分の足で戻ってきたのだから、ということでテッシーが頑張ることで、カケルはアイドルになってしまう。ある意味、人生を狂わされてしまう。
手に入れると決めたものは、味方までも欺いて手にしてしまう。これって決してクリーンではない、でもリアルな、芸能界の阿漕さだ
こうした側面は作中の随所に登場する。一見あたたかくて優しい目線の作品なのだけど、よく見るとシニカルで、深く楽しめる要素がある。
 
他にもお勧めしたい理由となるエピソードは沢山あるのだけれど、最後に握手の話をする。
握手。ジャニーズでも駆け出しの時期には多くイベントが開催されている。
近づくことで、一瞬でも話しかけられることで嬉しい気持ちはあるし、その接触して自分を見てくれた瞬間が癖になって、何度も通ったり、必然的に会うためのCD購入を繰り返したり。これはあらゆるアイドル市場で起こっていることだ。
そこにも少年ハリウッドは切り込んでくる。
ハリウッド東京という聖地で、毎日のように公演をし、終了後はお見送り兼握手会がある。
それがだんだんと一般化し、メンバーにメールアドレスを渡し、簡単に付き合える、という幻想を抱いてしまう人も出てくる。
その中でシャチョウは握手会を中止し、街中での偶然の握手こそが重要だ、と原宿で、言うならばかくれんぼ的なイベントを行う。
(このイベントはメディアミックスとして実在する少年ハリウッドの公式ライバルグループ、ぜんハリが実際に行っていたそうで、そこもすごい)
街中で偶然出会うファンに、自然でいたメンバーがアイドルとしてスイッチオンする瞬間が、なんとも印象に残る。
例えば、本当は甘いものに興味がない末っ子メンバーのキラが、甘党のリーダー、マッキーについていっているところ。
彼らを見付けたファンはパブリックイメージで逆の印象を抱く。「マッキーやさしい!キラくんと一緒に並んであげてるんだー♥」と、勝手に解釈する。
しかし瞬時に、二人はそれにこたえる。「僕、甘いのだーい好き♥」と元天才子役の末っ子、佐伯キラは笑う。
(彼の覚悟と振る舞いには個人的に山田涼介くんに近いものを感じる。自分の趣向と異なることも、すると決めて、運命を受け入れて、やりきろうとする)
また、イベントの趣旨に懐疑的な、一番アイドルから対局、そしてアーティストを目指す普通男子のシュンくんは、単独行動で裏原の服屋へ赴く。
好きな服を前にして、いーじゃん、なんて思いつつお財布事情からウインドウショッピングで終えようとしたところ、ファンに出会う。
「シュンシュンみーっけ!似合いそうー!!その服買うんですか?」キラキラした目でファンに見つめられ、その期待に応えようと、結局彼はその洋服を買う。
私は、これが彼の好きな服だっってところにきちんと本当が含まれていることもみそだと思う。すべてが嘘ではなく、本当を背伸びさせ、彼はアイドルとしての理想に応えるためにちゃんとカッコをつけるのだ。
みんな自分を少しだけ殺し、自分を待つ人に求められる姿を演じるのだ。
 
最後に無限の空っぽさを持つカケルは、夕暮れに一人のファンに出会う
彼女はカケルに会って大事そうに握手をして、そして、「握手なんて、できない位の人になってください」と言う。
握手なんてできない位、東京ドームを一杯にして、売れて、遠くに行って、今日の握手が特別なものになるような人になってください、と。
これってなかなか言えることではない。
前述のシャチョウの言葉の通り、ファンがアイドルに求めるものは矛盾だらけだ。
恋人のようでいてほしい—――でもそのためにきれいな所作をするには、実際の恋愛経験がなくちゃ無理なんじゃ?
そんな矛盾を無視して、アイドルなんだから恋愛したら自覚がない、と一刀両断してみたり。
もっと売れてほしい!と言いながら、箱が大きくなれば遠くに行ってしまった、と寂しがってみたり。
だって好きだから、求めてしまうから。言いたいことを100人が100通りで言ってくる。もうめちゃくちゃなわけだ。
それなのに、彼女は遠くに行くことで今日が特別になる、という。これを言えるファンの彼女に、幸せになってほしい、と胸を締め付けられる。
 
長く書きすぎてしまったが、すこしでも多くの人に少年ハリウッドを見るきっかけになればと思う。
それはきっと、アイドルや、何か煌めくものがすきな人であれば、貴方の好きなその人を見る目が、さらに深まるきっかけになるに違いないから。