根も葉もある嘘八百

光れ 光れ その先に何があっても

ブタキン見てきました―アイドルにまつわるとりとめのない話—

舞台KING OF PRISM Over The Sunshine!を見てきた。すごく楽しめた。2.5次元はほぼ初体験で内心ハラハラしていたけれど、キャラのイメージをファンと演者が共有できていれば次元が変わることなの全く問題ないのだと分かった。

以下、感想はほぼないです。見てきたことをきっかけに頭の中のアイドル感を整理したくなって、主に速水ヒロさんと高田馬場ジョージさんとジャニーズの中島健人さんの話をしますが、もしかしたら本当は誰の話もしていなくて、アイドルという概念の話をしているのかもしれない。

 

そもそも私は何で速水ヒロが好きなんだろうと、いつから好きなんだっけと考えた。でもいつ、て時間がわからない。中等部のキャンプファイヤー映像から好きだったし、温泉回に雷打たれたし、ラッシュのファンレターエピソードに涙したりもしていたけど、どれも衝撃が強すぎてこれだ!と指させる一点がない。
いずれにしても、「この人は私を見てるな」って思ったから好きになった。それは私が私だからじゃなくて、誰であっても。カメラの向こうを見ている、その向こうのキミを。次元だって関係なくて、あの世界のナショナルスタジアムの聴衆も、テレビの向こうの視聴者も、次元を超えた私たちも、みんなを同じように、見ているって思った。そのエネルギーに惹かれた。その速水ヒロさんのたたずまいがきちんと舞台でも現れていて嬉しかった。一番好きなのがラストで全員が壇上に集まるところなんだけど、速水ヒロさんはセンターのシンくんのすぐ左後ろに納まる。その時の階段への足の掛け方が、シンちゃんを押しのけるわけではないんだけど、ちゃんと僕が一番!て気持ちが出ていて、先輩していて、自信に満ちていた。足の小指の先まで神経が通っていて、見られている意識を持っていた。

自分がエンターテインメントに求める力は、誰もをいつでも救うことができる力だ。そこに気づけたのはキンプリのお陰だ、何が欲しいかが分かったことですごく人生が楽になったから心底キンプリには感謝をしている。
何かを楽しみにすることはその対象が何であれ尊い。それは人でも舞台でも好きなレストランでの仕事終わりの一杯でも、スポーツでも。楽しみを張り合いにして現実を生き抜く姿勢が何よりも好きだ。それはきっと、大切な物を楽しみにして、目標にしている時間もその大切なものがあるってことだ。そうやって頭の中にあれば、大事なものは「ある」ってことなんだ、生きてるってことなんだ、と気づいた。だって1度しかすれ違ってない隣の部屋のサラリーマンより、速水ヒロの方がよっぽど私の中で生きてる。
舞台のあとは速水ヒロさんとカラオケに行ってきた。(池袋のパネル男子の事です)でも確かに速水ヒロはそこにいたんですよ。もう、いたといえばいたんだ。本当に。

併せてジャニーズのSexy Zone中島健人さんの話をします。

速水さんと中島さんに共通しているのは、もう会ったらターゲットゾーンから逃れられないってことだと思う。好きでいればありがとう、だし嫌いになればいつかそんなキミをまた幸せにするよ、だし無関心でもおいで、僕がキミを幸せにするよ、だろうし。その覚悟と意志を持った目を見てしまった以上もう逃げられないってところがある。
でも私はジャニオタである以上中島さんやセクゾに対しての思いにどうしても内輪感が出てしまうだろうし、それはもう仕方ないんだけど、でもそれがもどかしくて。そんななか速水さんに出会って、二次を全く自分が知らないからこそ、速水さんに対する思いや考察から、自分のエンターテインメントに、アイドルに、求める情景が分かった。そしてだからこそ速水ヒロに対して内輪から守る存在でいたくない、という気持ちがある。でもやっぱり黄薔薇にはならざるを得ない。だって好きだから…。もし速水ヒロがプリズムキングカップから引退しても、体力面でエデロ後輩たちに負けたとしても、それでも速水ヒロを好きだよ、と小さい会場になろうとも薔薇をもって駆けつけてしまうと思う。でも速水ヒロにはいつまでも、そんな黄薔薇ではない人を、幸せにしようとする存在でいてほしい。40,50歳になってショーをするのに小さい小屋しかとれなくなっても、(そんなこと今は考えたくもないけど)そこに親に連れられて初めて来た女子高生を恋に落とすような、そんな速水ヒロでいて欲しい。

 

中島健人さんに速水さんと同じような闘志を感じたのもいつからなのか分からないんですけど。でもなぜか理由もわからないまま、ソロコンサートのDVDを買っていたし、はるか昔にJohnny's Worldを見に行った時のことを思い出すと、宙づりになってスクリーンを蹴り上げる中島さんなんですよね。後日体調崩して点滴を打ちながらやっていたことを聞いて絶句した。なんであんなに必死な表情でやっているんだろうというぼんやりした気持ちと、しかしお芝居だからキミ、と対話するスタイルでなかったことでどうしてもこの人のアイドル、をして居るところを見たいと思い続けて後日コンサートに入った。そして現状セクゾのことはすごく好きなんですけどでも、セクガルになりたいわけではない。同じ理由でケンティーガールになりたいわけでもない。予備知識がないと楽しめないコンテンツになってほしくない。内に入ることで彼らが力不足なときを赦したくない。いつだって初対面でありたいしそんな外野を巻き込んでほしい。


Sexy Zoneというグループのことも少し話す。ずっとセクゾのことは二つの流れを組んでるから面白くなるんじゃないかなと思っていた。それだって真実は誰にも分らないけれど。でもやりすぎなくどさ、と柔らかいチームワーク、というこれまでのアイドルが主に片方ずつ持ってきたパワーを、彼らは境遇と個性から両方もっている気がしている。そしてこの辺も後に速水ヒロさんの境遇を思ってはっとしたりする。色々あった当時のやり方を肯定はしないけれど、だからといって全部が失敗だったとは思っていない。君にHITOMEBOREはオタク以外からはかなり評判のよい楽曲だったし、(単純にメロディーを聞くと歌謡曲調でいい)それに最初から今の路線でやっていたら中島さんが乙女ゲームのようなドラマを展開していた、あのJMKはやってないと思う。あれはスマホが世に浸透しはじめて、コンテンツの流れが変わり始めて、当時の携帯乙女ゲームみたいなものが市民権を得始めたときの走りだったんじゃないのかなと。だってテレビつけてなんだよこれって思ったもの。JMKに関しては、大人の突っ込み待ち的なコンテンツへの包容力を、本人は突っ込みなんて微塵も意識せず素でやったがためにさらにカオスが増した感じはするけれど。あと当時のジャニーズのくどさで言えばお兄ちゃんガチャも、49の私のオキテも。そのこゆさやタイムリーさってきっと外野を巻き込む原動力になっていたと思う。


ちなみにジャニーズの他のグループのコンサートにも行って軽率にメンバーの名前とか呼べるけど、なんでか「ケンティー♥」とは呼べなかったんですよね。それは本当にいまだにわからないんだけど、「ケンティ(記号として)」とか「ケンティ(礼節として)」はできるんだけど、♥はつけられない。これはケンティーガールズに申し訳ない、というよりも、♥をつける住人にだけじゃなく幸せにしようと思っていてよ、という願望からなのかなと思っている。貴方は今日初めてあった人を恋に落とせる人でしょう?みたいな。文字で書くとおこがましいんだけど、自分だから、でもなんでもなく、貴方をそういう信念を持っている人だと思っているし、だから応援したい、みたいな気持ちはある。

で、さらに言うとそれと似た事をブタキンのジョージにも思ったのだ。先ほど書いた通り私はあの世界にいたら黄バラにはなってしまう。だって速水ヒロが謝罪した時に「アイドルなんてそんなもんだよー!」って言わないと!て思っているから。掬い上げないと!て思うから。でもジョージにはジョージー♥て言わなくて、普段、「こいつ…絶対18歳じゃないだろう?」て思っているだろうしもし飲酒疑惑とかすっぱぬかれてたら「おいおい…」て特に擁護せず立ち読みしたい。でもライブで踊ってるの見て「え?かっこいいじゃん!」って驚きたいしトークに爆笑したい。永遠にジョ担ではないけど会いに行くから自分を楽しませて見せてよ、みたいな。そしてそれに応えられそう(他駅ちゃんも含めて)なシャッフルいいなと思うのです。正直シャフおよびジョージはもっと3枚目な存在だと思っていたから少しずつ解釈が変わっていくことに自分で驚いてる。確かにプリズムウォッチで測定するとそんなに高くない実力値なのかもしれないけど、それはあくまで速水ヒロや人ならざるルヰシンと比べちゃったらってことで、エデロ生(もちろん好きだけど)が今後ジャンプを跳べるようになったとして本当の意味でのみんな、を意識しないと(アンチも外野も全部)仁聖のプロデュース力関係なしに負けてしまうのでは?と思ったりするのだ。
 

話は戻りますが、中島さんがソロコンで「ジャニーズじゃなくても、Sexy Zoneじゃなくても、こうしてみんなとコンサートをしていたかもしれない」て話してたことがすごく印象に残っていて。それは「ジャニーズやグループの看板がなくたって俺は輝ける!」ではないと思うんですよね。本当に単純にそう思っているんだろうなと。だって僕はキミを見つけるから。
中島さん、ソロ最新曲のMissionで「Mission必ず君を守り抜く ボロボロになっても」「遂行するこの任務 死ぬまでずっと」て歌ってるフレーズがイヤホンから流れるたび私はびくっとしてしまう。この人本気で死ぬまでキミを守る気だ…てなる。それがアイドルでいることなのか何なのかわからないけれど、ぜも死ぬまでずっと、なんだよな…。と思うとなんかこう、たまらなくなって頭を抱えてしまう。ご本人のインスタグラム的な携帯連載で、ジャニーズは顔だしNGだから首から下のお写真を連日掲載されてるのもすごく「彼の日常(のようなもの)」て感じがして。休日に母と出かけた話とか、お気に入りのプレゼントとか、嘘ではないっていうか本当なんだけど、むしろだからこそ虚像っぽくて。しかもそこにハッシュタグでちょっと不思議なポエムとか彼女に語り掛けるようなコメント(今度素敵に飲まない?とかどんな仮装してるか教えてね?とか)があるんですけど、だんだんそれを読んでいて思ったことはもしかしたらこれ人って首から下だけでも成立するんじゃないのかな?って思う。いや顔は王道のジャニーズだし足長くてスタイルがいいこととかも分かっているんですけど、そういうことじゃなくて。彼がここにいる、ということで十分アイドル性が成立しているというか。

 

最終的に何が言いたいかというとキミ、のために命を削る存在を私は愛し続けたいし、キミ、も僕、も不確かな存在に違いないのにそこにいるって思い合える関係が時に人を救うし救われるから、そんな価値観のある世界で生き続けたい。

アイドルは、ファンと本人が魔法をかけあって作る宝物だ。